アントウェルペン/アントワープ
フランドル地方(現在のベルギー)の商業都市。ハンザ同盟の在外商館が置かれ、大航海時代の16世紀から始まった商業革命で新世界との交易で繁栄した。しかし1585年、スペイン軍に破壊され衰退した。
アントウェルペン GoogleMap
フランドル地方の北端にあたる商業都市の一つとしてハンザ同盟の在外商館が置かれていた。15世紀からはブルゴーニュ公の領地となり、1506年には相続によってハプスブルク家のカール(後のカール5世)の領地となった。またフランドル地方の毛織物の積出港として、また原料の羊毛をイギリスから輸入する港として栄えた。
商業革命で繁栄
16世紀にはイギリスからの毛織物製品の輸入が急増し、さらに大航海時代には、ヴァスコ=ダ=ガマのカリカット到達(1498年)、カブラルによる香辛料貿易の開始(1501年)によってリスボン経由のアジアの香辛料や、新大陸からの銀などがこの地に集積されるようになり、いわゆる商業革命によって、リスボンとともに最大の貿易港として繁栄することとなった。17世紀は美術史上、バロック美術の時代といわれるが、この時期に活躍したはルーベンスとその弟子ファン=ダイクはいずれもアントウェルペンを拠点としていた。
スペイン軍による破壊
しかし、オランダ独立戦争に際し、1576年にスペイン軍によって略奪されて衰え、さらに1585年には破壊され、プロテスタントの商人はアムステルダムに逃れた。そのため、アントウェルペンは衰退し、世界経済の中心地はアムステルダムに移った。