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ピルグリム・ファーザーズ

1620年、イギリス人のピューリタンたちがメイフラワー号で大西洋を横断し、アメリカ大陸のプリマスに上陸した。彼らが結んだ誓約が後にアメリカ建国の源流となったとされるようになり、神話化された。

 the Pilgrim Fathers ピルグリムとは、「巡礼」の意味。ピルグリム・ファーザーズは「巡礼始祖」と訳され、1620年に国教会を強制するジェームズ1世の迫害から逃れたピューリタン(清教徒。国教会からの分離を主張したので分離派 separatists とも言われる)で、メイフラワー号に乗って北アメリカに渡り、プリマスに上陸した人々を言う。メイフラワー号には102人が乗船していたが、そのうち41人はイギリス国教会を批判するピューリタンたちであり、アメリカに渡る前には、一時オランダのライデンに移住するなど、信仰の自由を求めて移動したので、「巡礼」と言われた。

アメリカ大陸に移住

 彼らはヴァージニア植民地の成功の話を聞き、そこをめざして1620年9月、イギリスのプリマス港を出発し、65日間の航海の末、ヴァージニアのかなり北方のケープ=コッド(Cape Cod タラの岬の意味)に到着、上陸して植民地プリマスを建設した。彼らは上陸に先立つ11月11日にメイフラワー号の船中で「メイフラワー契約」を締結し、新天地に移住するにあたり、「契約により結合して政治団体をつくり、もってわれらの共同の秩序と安全とを保ち進め」ることを誓約した。
 最初の冬は穏やかだったので乗りきったが、次第に病気が広がり、最初の一年間で移住者の約半数が亡くなるという苦労を味わったが、ウィリアム=ブラッドフォードに指導されてプリマス植民地を建設したピルグリム=ファーザーズは、メイフラワー契約に基づいて一つの自治体を作り上げ、政治的・宗教的に自立した社会を作り上げていった。

ピルグリム=ファーザーズの神話化

 彼らの1620年のアメリカ大陸移住は最初だったわけではなく、1607年、ヴァージニアのジェームズタウンの方が早かった。また彼らが建設したプリマス植民地も70年ほどしか存続せず、マサチューセッツ植民地に併合されている。またメイフラワー号に乗っていた人々102名のうち、ピューリタンは41名(男17名)だけだった。しかし、アメリカでは1620年のプリマス上陸から建国の歴史が始まると意識されており、彼らが上陸したとされる12月22日は「先祖の日」として祝宴が開かれ、また彼らが先住民とともに最初の収穫を祝った日は感謝祭(11月最後の木曜)として連邦の祝日とされている。
 なぜ、ヴァージニアでなく、プリマスなのか。プリマスがアメリカ建国の原点であると「神話化」されるようになったのはイギリスからの独立を勝ち取った18世紀末から20世紀初めのことだった。その過程でヴァージニアではなく、プリマスが神話化されたか、答えは自明だろう。ヴァージニアのジェームズタウンには1619年、オランダ船から譲り受けた20人の黒人(この時点では奴隷ではなく年季奉公人としてであった)が初めて上陸している。つまりジェームズタウンから話を始めるとすれば黒人奴隷制の「不自由」の物語が初めからついて回るからである。<貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』2018 岩波新書 p.27-29>
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