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ベーコンの反乱

1676年、ヴァージニア植民地で入植者が起こした反乱。インディアン討伐を主張する白人入植者が、年季奉公人・黒人奴隷と一体となって反乱を起こした。

 1676年、イギリスのアメリカ大陸13植民地の一つ、ヴァージニア植民地で、アメリカにおける入植者の最初の反乱が起こった。このアメリカ独立のちょうど百年前に起こった反乱は首謀者ナサニエル=ベーコンの名前を採ってベーコンの反乱と言われている。ベーコンはヴァージニア西部の開拓民でかなりの広い土地をもつプランターであった。彼は植民地議会の議員に選ばれると、総督の統制を無視して武装民兵を率いてインディアンとの戦いを開始しようとした。インディアンとの戦いに消極的な総督はベーコンを反逆者として逮捕したが、2000名の支持者がジェームズタウンに進軍してくると彼を釈放してしまったので、ベーコンは民兵を率いてインディアン討伐を開始した。ベーコンの要求は不公平な課税の廃止と同時に西部辺境民をインディアンから保護することがあった。ベーコンは29歳で病死し、反乱は失速したが、反乱軍の拠点では400人の武装した白人の自由民と年季奉公人、黒人奴隷からがなおも抵抗し、最後は鎮圧されて23人が絞首刑にされた。

白人入植者の不満

 インディアンは白人の辺境民に土地を奪われ、辺境民はジェームズタウンの富裕な上流階級から課税され、支配されていた。また大プランターのもとで搾取されている白人年季奉公人黒人奴隷とが共に反乱に加わった。そして、富める者も貧しい者も、植民地全体がイギリス政府に搾取されていたのだ。入植者はタバコを栽培して、イギリスに売っていたが、その価格はイギリスが決めていた。毎年、植民地ヴァージニアから多大な利益を手にしていたのは、イギリス国王だったのだ。ベーコンの反乱は、インディアンに対する敵愾心と総督及び本国イギリスに対する不満ともつ白人入植者の辺境民と、プランターに搾取されていた白人年季奉公人と黒人奴隷が一体となって起こした反乱であった。<ハワード=ジン『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』上 2009 あすなろ書房 43-44>

ベーコンの反乱

 ベーコンの反乱は、高校世界史で取り上げられることはないが、イギリスの支配、ヴァージニアの大プランター、白人入植者、白人年季奉公人、黒人奴隷、それにインディアンというアメリカ植民地の社会各層の関係を考える上で興味深い事件なので取り上げてみることにした。上記のように、ベーコンの反乱はアメリカ植民地におけるイギリス支配に対する最初の反乱として注目されているが、独立戦争の第一歩という評価ではない。
 特に首謀者ベーコンら白人のインディアン敵視は見過ごすことはできない。また植民地のプランテーションに於いては黒人奴隷労働が強調されているが、あまり知られていないインディアン奴隷と白人年季奉公人の存在も見過ごすことはできない。反乱の本質については次のような指摘もある。
(引用)1676年にヴァージニア植民地を震撼させた「ベーコンの反乱」の一つの契機として、「(白人年季)奉公人の境遇から這い出たばかりの自由民」がフロンティアへの進出を余儀なくされ、不満を爆発させたことがあげられる。この反乱の指導者は73年にイギリスから渡来したばかりの青年プランターのナザニエル・ベーコンであった。しかし彼には窮乏化した移住者を救済する意図はなく、むしろ彼らがひき起こした社会不安を利用し、近隣のインディアンをいわばスケープゴートとして血祭に上げ、奴隷化し、土地を略奪しようとしたのである。彼にはインディアンに対する人種蔑視の感情が濃厚に存在した。ベーコンは、いわばこのインディアン対策をめぐって既存の支配階級と権力争奪戦を繰り広げたことになる。<池本幸三/布留川正博/下山晃『近代世界と奴隷制―大西洋システムの中で』1995 人文書院 p.83>

ベーコンの反乱後のヴァージニア

 ベーコンの反乱までのヴァージニアでは支配的大プランターが社会の頂点に立ち、かれらが中小農民、白人年季奉公人、まだ少数ではあったが黒人奴隷を支配する構図であったが、ベーコンの反乱を機に、年季奉公人から解放された白人が白人プランター側につき、インディアンを差別し、その頃から急増した黒人奴隷をインディアンと同じ有色人種として差別するという構図に転換した。<池本他『同上書』 p.84>
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