バブーフ/バブーフの陰謀
フランス革命期に平等社会の実現を主張していたが、1795年、総裁政府によって政府転覆の陰謀を理由に処刑された。
バブーフは1795年11月、パンテオン-クラブを組織、共産主義とその基底にある平等を雑誌『護民官』で主張していた。12月総裁政府はバブーフ逮捕を布告したが、地下に潜行、1796年3月地下で総裁政府の転覆、共産主義体制樹立のための「蜂起委員会」を組織、1796年4月28日(ナポレオンがイタリアで大勝利をした頃)「警察隊」の反乱を実行した。逮捕されたのは密告によってであった。バブーフの他、ブオナロッティ、ダルテ、ドルエなど首謀者は、1797年2~5月の裁判で死刑判決がだされた。この事件は「バブーフの陰謀」と言われる。
バブーフは5月28日に処刑されたが、ブオナロッティは死刑判決後に恩赦されて生き延び、イタリアのカルボナリ運動の中心人物となり,さらに青年イタリアにも参加している。
バブーフは5月28日に処刑されたが、ブオナロッティは死刑判決後に恩赦されて生き延び、イタリアのカルボナリ運動の中心人物となり,さらに青年イタリアにも参加している。