1795年憲法
1795年成立の共和政憲法。共和暦第3年憲法とも言う。1799年ナポレオン政権成立で消滅した。
フランス革命で成立した第一共和政の時期、ジャコバン派独裁が1794年7月のテルミドールのクーデタで倒れた後、共和暦第3年(1795年8月22日)に制定され、9月23日国民投票で批准された憲法。
フランスで最初に施行された共和政憲法(ジャコバン独裁下の1793年憲法は施行されなかった)であったが、1799年にナポレオンがブリュメール18日のクーデタで総裁政府を倒し、12月15日に共和暦8年憲法を発布したので、この憲法はわずか4年の短命に終わった。
総裁政府が成立
権利と義務の宣言を前文とする。男性普通選挙制をやめ、直接税納付者全員が投票権を持つという制限選挙制に戻った。選挙は二段階制。議会は二院制で、法案を提案する五百人議会と法案の採否を決める元老議会(議員は40歳以上250名)からなる。行政権は5人の総裁からなる総裁政府がもつ。総裁は両議会が選挙し、5年の任期で毎年一人を改選する。総裁は6から8人の大臣を任命する。県の首長は県民の中から選ばれ、総裁政府が任命する。改正は9年に及ぶ長い煩雑な手続きが必要なため、クーデタの危険性があった。フランスで最初に施行された共和政憲法(ジャコバン独裁下の1793年憲法は施行されなかった)であったが、1799年にナポレオンがブリュメール18日のクーデタで総裁政府を倒し、12月15日に共和暦8年憲法を発布したので、この憲法はわずか4年の短命に終わった。