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大コロンビア

シモン=ボリバルが指導し、1819年に独立したラテンアメリカの国。グランコロンビアともいう。1830年に、コロンビア、ベネズエラ、エクアドルに分裂。

 南米大陸の北端のスペイン領としてヌエバ=グラナダ副王が治めていた地域は18世紀にはカカオやコーヒーの生産、金の産出などで経済力を強め、現地のクリオーリョの独立志向が強まった。1810年、カラカスで独立運動が始まり、1811年にベネズエラの独立を宣言したが、翌年の大地震で崩壊し、その後シモン=ボリバルはスペイン軍と戦いを続け、ボヤカの戦いで勝利して1819年に大コロンビア(グラン・コロンビア)共和国の独立を宣言し大統領となった。
 ボリバルは1824年には大コロンビアとペルーの大統領の地位に就き、スペインから独立を達成したラテンアメリカ諸国が結束しなければ、再びスペインの支配を許してしまうのではないか、と強い危機感を抱いた。1826年にはヨーロッパ諸国の干渉に対する共同防衛のための集団的安全保障体制をめざしてパナマ会議を招集し、大コロンビアも参加した。会議では参加した4ヶ国(大コロンビア、メキシコ、中米連邦、ペルーの4ヶ国)のいずれかが外国から攻撃された場合には他の同盟国がただちに援助することなどなどが合意されたが、大コロンビア以外の3国での批准が行われず、同条約は発効することがなかった。

コロンビア、ベネズエラ、エクアドルに分裂

 ボリバルの構想は、ヌエバ=グラナダ植民地全域を統合して、北米大陸のアメリカ合衆国と同じような大国をつくることであったが、それぞれの旧植民地には抜きがたい対立感情があり、まもなく地域的な対立が表面化し、1830年には大コロンビア共和国はコロンビアベネズエラエクアドルの三国に分裂してしまった。統合の夢破れたボリバルは、その年の12月、失意のうちに死去した。
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