ゴーガン(ゴーギャン)
19~20世紀初めのフランス、後期印象派の画家。
Source: Wikimedia Commons (Public Domain)
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タヒチでの生活
その後1891年から南太平洋のタヒチに行き、その地で製作に没頭、鮮やかな色彩と斬新な構図で、生き生きとしたタヒチの人々を描いた。一旦パリに戻り、個展を開いたが、世間に受けいれられず、タヒチに戻り、1903年にはドミニカに渡った。その地で貧困と孤独のうちに亡くなった。このようにゴーガンの絵は印象派から出発し後期印象派(最近はポスト印象派と言われるようになった)に属しているとされるが、アフリカの原始美術や日本の浮世絵の影響を受け、写実を脱した色彩とかたちで装飾的な効果を生み出した。ヨーロッパの伝統をはみ出した画家であったが、その手法は総合主義とも言われ、現代の絵画に大きな影響を与えた。タヒチ滞在中の手記に『ノアノア』がある。作品:『自画像と黄色いキリスト』(1889)などの自画像、『イア・オラナ・マリア』(1891年)、『浜辺のタヒチ女』(同)などのタヒチでの作品がよく知られている。その表現は豊かな色彩が用いられているが、印象派とは異なり、明確な輪郭線を持っている。
Episode 『月と六ペンス』
イギリスの小説家モーム(William Somerset Maugham 1874-1965)は、ゴーガンの生き方に強いインスピレーションを得て、『月と六ペンス』(the Moon and Sixpence 1919)を書いた。この小説ではイギリス人のチャールズ=ストリックランドとなっているが、そのモデルがゴーガンとされている。ストリックランドは株の仲買人であったが40歳を過ぎて画家になることを決意し、妻子を捨ててパリに行く。名誉や金銭には頓着せず、ひたすら創作に励むが、ある時は友人の画家の妻を奪い、同棲したあげくその女が自殺する騒ぎを起こす。そんな奔放な生活を小説の語り手の「私」もついて行けず、いつしか疎遠になる。後になってストリックランドが南太平洋のタヒチに渡ったと知り、「私」はその後を訪ねると、彼はすでに死んでおり、島の人々から、現地で妻となったアタとのはじめて安楽な生活を送ったこと、壮絶な最期とを知る。そして島に残されたその作品に、その創造性を見るのだった。『月と六ペンス』の月とは「人間を狂気に導く芸術的創造熱」を意味し、六ペンスとは「家庭とか社会とかいう世俗的なつながりの無意味さ」を示しているのであろう。<モーム/中野好夫訳『月と六ペンス』 新潮文庫>
