ベル/電話
1876年、アメリカで「電話機」を発明、翌年、ベル商会を設立して電話事業に乗り出し成功した。
グラハム=ベル Alexander Graham Bell 1848-1922 は、スコットランド生まれで、ロンドンで手話を創始した父とともに聾唖者の教育に当たっていた。1871年に渡米し、ボストン大学の音声生理学の教授となり、自らも聾唖学校を経営していた。ベルは1875年6月3日、偶然に電磁石と振動板をうまくかみあわせれば、音を電気にして送れることに気づいた。電気についての知識のないベルは、電気器具に精通するワトソンを助手として、電話機を発明し、翌1876年3月7日に特許を取得した。ベルの電話は3月10日から作動した。ところが1日前に独学で電気学を学んでいたエリシャ=グレーという人物が特許の申請を済ませていた。ベルの発明は、電力を照明や通信に利用し、現代文明のありかたを規定することとなる大発明であったが、当初からその権利をめぐって対立が始まった。
電話の成功
(引用)初めて電話で語られた言葉は何だったか知っていますか。「ミスター・ワトソン、こっちに来て手を貸して下さい」である。ボストン大学の音声生理学教授だったベルは、自宅の屋根裏部屋に設置した送信機と1階の受信機を通じて、この新発明の初実験をおこなった。1、2分後、彼の前には助手のトマス・ワトソンが立っていた。階段を駆けのぼってきたせいで息を切らしながら、「聞こえましたよ!」彼は叫んだ。「成功です!」<スレンドル・ヴァーマ『ゆかいな理科年表』2008 ちくま学芸文庫 p.174>ベルの電話が実用化された当時、イギリス郵政省の主任技術者のウィリアム・プリースは、「アメリカには電話は必要だが、わが国には必要ない。メッセンジャーボーイがいくらでもいるから」と言ったという。しかし、メッセンジャーボーイはたちまち用なしになった。<スレンドル・ヴァーマ『同上書』p.174>
電話事業に乗り出す
1876年はアメリカ合衆国建国100年を祝いフィラデルフィアで万国博覧会が開かれ、ベルの「電話」が早速展示されて注目を集めた。翌年ベルは、ベル商会を創設して「電話事業」を本格的に開始したが、グレーの特許を買い取ったウェスタン・ユニオン電信会社の激しい攻勢を受けた。1879年、ベル商会はウェスタン・ユニオンと協定を結び、収益の20%を17年間支払うと言うことで事業から手を引かせ、電話事業の独占に成功した。こうして世界中にベル商会の「電話」が普及に、人類のコミュニケーション手段は劇的に変化していくことになる。<宮崎正勝『モノの世界史』2002 原書房 p.290> → 万国電信連合