カルロヴィッツ条約
1699年、オスマン帝国がオーストリアなどと結んだ条約。ハンガリーなどを割譲し、帝国領の縮小の第一歩となった。
1699年、オスマン帝国がオーストリア・ポーランド・ヴェネツィアと結んだ条約。カルロヴィッツは現在のセルビアの首都ベオグラードの西方のドナウ川河畔の地。1683年、第2次ウィーン包囲の失敗後も、オスマン帝国はオーストリアとの戦争を継続したが、自軍内に反乱が起きて敗北し劣勢となったため、カルロヴィッツで講和条約を結んだ。
ハンガリー、オーストリア領となる
このカルロヴィッツ条約でハンガリー・トランシルヴァニアの大半をオーストリア(ハプスブルク家)に割譲した。オスマン帝国が、最初に領土を放棄した条約で、その衰退の始まりを示している。またこれによって中欧・東欧におけるハプスブルク家オーストリアの覇権が確立し、その繁栄が始まる。同時にオーストリア・ハプスブルク帝国の支配を受けることとなったハンガリーでは、自治要求、さらに独立を求める運動が強くなっていく。