ミドハト/ミドハト=パシャ
オスマン帝国のタンジマート時代の改革派官僚。ミドハト憲法を立案し「憲法の父」と言われる。
ミドハト=パシャ
(1822-1884)
憲法の制定
1876年にアブデュルハミト2世を新スルタンにすることに成功し、そのもとで再び大宰相に迎えられ、立憲制の即時導入を進め、その年12月23日に憲法(いわゆるミドハト憲法)を発布した。しかし翌年、露土戦争が始まると、専制政治の復活をめざしたスルタン、アブデュルハミト2世は「国益を害する人物をスルタンは国外追放にできる権利を持つ」という憲法の規定を使ってミドハトを追放してしまった。こうして有為な人物を失ったオスマン帝国は、スルタン専制国家に戻り「青年トルコ」の革命という迷走を経て崩壊する。1881年、ミドハト=パシャは流刑地のメッカ近郊で殺された。