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林則徐

欽差大臣として広州でアヘン取り締まりを強化した。

 清朝の官吏で、地方官を歴任していた。詩人でもあり、宣南詩社というグループの一員であった。1837年には湖広総督に抜擢された。1830年代からアヘンの害の拡大と銀の流出が大きな問題となった時、アヘン厳禁論を道光帝に進言し、信任を受け、1838年、欽差大臣(特別な使命を持って皇帝から任命された大臣)としてアヘン密貿易を根絶するため広州に派遣された。翌年、林則徐はイギリス商人からアヘンを没収し、2万箱を虎門海岸で破棄した。イギリスは強く抗議し、1840年遠征軍を派遣して海上から威圧した。驚いた清朝政府は林則徐を罷免したが、イギリスは攻撃を止めなかった。こうしてアヘン戦争が勃発した。
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書籍案内

大谷敏夫
『魏源と林則徐―清末開明官僚の行政と思想』
(世界史リブレット人)
2015 山川出版社