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イギリス植民地会議

1887年に始まるイギリス帝国主義の実施機関。1907年にイギリス帝国会議に改称。

 1887年の第1回以来、不定期に開催された、イギリス帝国主義のもとでの植民地維持のための会議。植民地の本国への協力体制を作ることに主眼が置かれた。イギリスの植民地政策は19世紀後半から20世紀初頭にかけて、白人入植者の多い植民地(カナダオーストラリアなど)には一定の自治を認めて自治領とし、非白人の多い植民地(インドなど)には直接支配を継続するようになっていくが、これらの自治領を認めた上でイギリス本国につなぎ止めておく必要から、植民地会議を開催するようになった。

第1回イギリス植民地会議

 イギリスでは1850年代~80年代にかけて、植民地の膨張がイギリスの負担を増大させているとして、植民地不要論(小イギリス主義とも言う)が盛んになっていた。しかし、80年代から次第にドイツ、アメリカが台頭し、イギリスの優位がゆらぎ、帝国主義的な競争が激しくなると、排他的な市場および原料供給地として植民地との結びつきを強化し、その拡大をはかるべきであるとする見解が有力となった。そのような中で開催されたのが第1回の植民地会議であった。1887年、ロンドンにおいてヴィクトリア女王の即位50周年を祝う式典が各自治領・植民地の代表者参列のもとに挙行され、この祝典を機会に本国政府と各自治領政府との会議が開催されることとなった。<岡義武『国際政治史』1955 再刊 2009 岩波現代文庫 p.94>
 1907年にはイギリス帝国会議と改称された。