カーネギー
アメリカで移民の子から身を起こし19世紀末に製鉄業で成功し、財閥を結成した人物。
アメリカのカーネギー家の創始者アンドリュー=カーネギー(1835~1919)はスコットランド移民として労働者から身を起こし、製鉄業界でベッセマー法を導入して成功しカーネギー鉄鋼会社を創設した。1901年にはそれをモーガン財閥が経営するUSスチールに売却して引退。その後はカーネギーホールを建設するなど文化・慈善事業に携わった。 → アメリカ帝国主義
「鉄鋼王」と呼ばれたアンドルー=カーネギーは、近代における生業と労働の変容とともに人生を歩んできた人物である。彼は、1948年、家族に連れられ、スコットランドからアメリカ合衆国に移住した。その背景には、工場製の安価な綿織物の普及により、家業の毛織物業が苦境に陥ったことにあった。鉄道の電信技師として働いた後、彼は実業家へと転じ、新技術を活用した鉄鋼業で成功を収めた。この時期の大規模な産業構造の転換は、職人や農民から工場労働者へと転じる人びとの急増、ホワイトカラーの出現など、生業と労働のあり方を大きく変容させた。また、労働問題の深刻化もその帰結の一つであった。カーネギーの製鉄会社でも、生産の拡大とともに労働争議が頻発したのである。<2009年センターテスト本試験世界史B 第1問C>
出題 2009年センターテスト世界史B
人類の生業と労働に関する問題で、カーネギーを題材とした設問があった。カーネギーの時代背景についてまとめているので、以下に引用します。「鉄鋼王」と呼ばれたアンドルー=カーネギーは、近代における生業と労働の変容とともに人生を歩んできた人物である。彼は、1948年、家族に連れられ、スコットランドからアメリカ合衆国に移住した。その背景には、工場製の安価な綿織物の普及により、家業の毛織物業が苦境に陥ったことにあった。鉄道の電信技師として働いた後、彼は実業家へと転じ、新技術を活用した鉄鋼業で成功を収めた。この時期の大規模な産業構造の転換は、職人や農民から工場労働者へと転じる人びとの急増、ホワイトカラーの出現など、生業と労働のあり方を大きく変容させた。また、労働問題の深刻化もその帰結の一つであった。カーネギーの製鉄会社でも、生産の拡大とともに労働争議が頻発したのである。<2009年センターテスト本試験世界史B 第1問C>