サパタ
1911年のメキシコ革命で農民軍の蜂起を指導した。1914年には革命政府の中で一時権力を握ったが、農民解放、農民への土地分配を要求して官僚や軍と対立し、排除された。その後革命から離れたが、その急進的な主張を恐れた右派によって1919年に暗殺された。
1914年12月 大統領の椅子に座ったビリャとサパタ(右)
エミリアーノ=サパタ(Emiliano Zapata 1879?-1919)はメキシコ南西部モレーロス州の小作農(ペオン)。地主に反抗してお尋ね者となり身を隠していたが、1910年11月20日、マデロが独裁者ディアズの不正選挙に対して決起してメキシコ革命を開始すると、仲間を率いて参加し、ディアス独裁政権を倒すことに成功した。
この映画は革命を描いているが、エリア=カザン自身もある意味で革命の渦中にあり、失望と裏切りに悩んでいた。その前年『欲望という名の電車』を発表して名声の絶頂にあったが、時まさにマッカーシズムの真っ最中、その手はカザンにも及んでいた。カザンはハリウッドの共産主義分子として告発されそうになったのである。しかしカザンは結局告発されなかった。それは彼が取引をして仲間を当局に売ったからだと言われている。カザンはその後も『波止場』『エデンの東』(ジェームス=ディーンの出世作)などの名作を作るが、その一件は長くしこりとして残ったという。さてこの『革命児サパタ』はカザンが革命と共産主義を否定するメッセージを込めているとされているが、果たしてどうでしょうか。現在廉価版DVDが出ているので是非一見してください。
サパタの農地改革案
農民軍を率いて革命の統領の一人となったサパタは、1911年11月、「アヤラ計画」(アヤラ綱領ともいう)を発表し、メキシコ革命の最も急進的な指導者となった。サパタの「アヤラ計画」は次の3項目であった。- ディアス独裁政府によって不法に奪われた土地を即時前所有者に返還する。
- 大土地所有者の所有地の三分の一を買い上げ、土地不足の農民や共同体に与える。
- このプランに反対する反動地主の土地はすべて無償没収する。
権力を握る
しかしマデロが右派のウェルタ将軍に暗殺されると、マデロの後継者カランサに協力し、反革命のウェルタ将軍との戦いに加わり、北部の農民軍の首領の一人であったビリャ(パンチョ=ビリャ)とともに戦い、ウェルタを追放し再び政権中枢にはいることとなった。サパタとビリャは1914年12月、メキシコ市の大統領府に入り、権力を握る(この時の写真が教科書にも掲載されている右のものである)。しかし、机の前で政務を執ることの苦手なサパタは次第に政府内部で孤立し、実権は知識人上がりのカランサと軍を押さえるオブレゴンに集中していく。サパタの暗殺
失意のサパタは政府を辞し、農村に戻るが、1919年、その存在を危険視したカランサ派によって隠れ家を襲撃され殺害されてしまう。サパタはビリャと共にメキシコ革命の英雄であったが、その急進的な要求である農民の解放を実現させることは出来ず、反逆者として暗殺されてしまった。メキシコ革命の中で農地改革などが一定の実現を見るのは、1934年に大統領となったカルデナス政権のもとでであった。サパタの孫たち
サパタの精神は、意外なところで息を吹き返した。それは1994年元旦、メキシコ南部のチアパス州で武装蜂起したサパティスタ民族解放軍である。しかし彼らは従来型のイデオロギー的左翼運動ではなく、アメリカ・カナダ・メキシコが締結した北米自由貿易協定(NAFTA)粉砕を目指して蜂起した。その自由貿易協定は零細なメキシコ農民をさらに困窮に追い込むものであると反発したのだ。いわばこの運動は反グローバリズムのはしりであり、その後6年にわたって武装闘争を展開し、それが引き金となって2000年7月の総選挙で71年にわたる制度的革命党(PRI)政権が敗れるという転換がもたらされた。参考 映画『革命児サパタ』
サパタ像は映画『革命児サパタ』でマーロン=ブランドが演じ、強烈な印象を残した。『革命児サパタ』は1952年公開のエリア=カザン監督、白黒作品。ジョン=スタインベックが脚本に名前を出している。小作人の子サパタが罪人となり、革命運動に投じ、農民軍を率いてその統領となる経過が生き生きと描かれている。またマデロやビリャなどとの協力や対立が、ほぼ史実通り(と思う)に、しかもテンポよく展開する。ビリャと共に闘ってウェルタ将軍を大統領府から追い出した1914年、サパタとビリャが大統領の椅子に座り、その一味が周りでふざけるシーンは、世界史の教科書でおなじみの写真が写されたときのことを再現している。サパタは革命に裏切られ、失望して権力から身を引くが、兄のユーフェミオ(アンソニー=クイン、これでアカデミー賞助演男優賞をとった)は権力の味を忘れられず弟から離れる。妻と二人だけの山中の隠れ家に身を潜めるが、最後に裏切りによって襲撃され、蜂の巣になって殺される。このシーンは後の『灰とダイヤモンド』のラストを先取りしている。映画はサパタの死骸を取り囲んだ農民が「サパタは死んでいない。これからも生き続ける。」とつぶやき、残されたサパタの愛馬が山中に逃れていくところで終わる。この映画は革命を描いているが、エリア=カザン自身もある意味で革命の渦中にあり、失望と裏切りに悩んでいた。その前年『欲望という名の電車』を発表して名声の絶頂にあったが、時まさにマッカーシズムの真っ最中、その手はカザンにも及んでいた。カザンはハリウッドの共産主義分子として告発されそうになったのである。しかしカザンは結局告発されなかった。それは彼が取引をして仲間を当局に売ったからだと言われている。カザンはその後も『波止場』『エデンの東』(ジェームス=ディーンの出世作)などの名作を作るが、その一件は長くしこりとして残ったという。さてこの『革命児サパタ』はカザンが革命と共産主義を否定するメッセージを込めているとされているが、果たしてどうでしょうか。現在廉価版DVDが出ているので是非一見してください。