カランサ
メキシコ革命の指導者の一人、1917年憲法を制定したが内部対立から暗殺される。
カランサはスペイン人の血をひくメキシコ北部の大地主で、独裁政治に反対する州知事や地方の有力者に支持され、メキシコ革命でマデロが右派に殺害された後、革命の指導者として台頭した。右派のウェルタ軍を破り、1914年に暫定大統領となった。
サパタらの農地改革派を弾圧
彼は1857年憲法の精神の尊重を掲げ政治的自由の実現を目指したが、他方で農地改革を主張していたビリャやサパタなどの急進派とは訣別し、弾圧する側に回った。1917年には革命の成果とされる憲法を制定し、同年正式に大統領となったが、カランサ自身は憲法を尊重することなく、農地改革を求めるサパタを暗殺してしまった。アメリカの干渉
しかしその権力の維持を図って後継者に自派の人物を指定したため、政権の主導権をめぐって争いが生じ、1920年に対立するオブレゴンらが反カランサの反乱を起こし、敗れて逃亡する途中で部下に殺害された。カランサ大統領は、革命混乱期にアメリカのウィルソン大統領が宣教師外交を掲げて軍事的侵略を含むさまざまな干渉を行ってきたことから、アメリカによる内政干渉を排除するために他国への内政干渉を禁止する「カランサ・ドクトリン」を提唱し、他のラテンアメリカ諸国に働きかけた点は注目すべきである。20年代のアメリカはこれに反発したが、30年代にはアメリカ自身が不干渉主義を明言し、F=ローズヴェルトは善隣外交政策に転換する。