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宣教師外交

アメリカの第一次世界大戦期、ウィルソン大統領がとった近隣諸国にアメリカの民主政治や人権尊重を輸出しようとする外交姿勢。メキシコとハイチで典型的に見られた。

 第28代ウィルソン大統領(在職1916-1921)が、特に対ラテンアメリカ地域に向けて採用した外交政策。民主主義を至上の価値と考えるウィルソンは、かつてスペインの宣教師たちがキリスト教を伝道する際に、時には武力を用いることも辞さなかったのと同じように、武力を行使してでもラテンアメリカ地域に民主主義を教え込もうとした。
 例えばメキシコ革命に介入して、独裁者ウェルタ政権の不承認と遠征隊の派遣によるベラクルスの占領などである。この政策はラテンアメリカ地域の住民に反米感情だけをもたらし、失敗に終わった。また、独立後政情が不安定であったハイチに対しては、1915年に海兵隊を派遣し、軍政を布いた。 → アメリカの外交政策  アメリカ帝国主義

ウィルソンのメキシコ介入失敗

(引用)ウィルソンのメキシコ政策からは、今日まで続くアメリカ外交の行動パターンを窺い知ることが出来よう。ウィルソンの介入は、隣国の人々が自分たちの希望するするような政府を選び、自由に生きることが出来るようにしたいという願望に基づくものであった。そして抑圧者ウェルタを排除し、公正な選挙を経て選ばれた指導者が現れれば、その理想はおのずと実現するはずであった。なぜなら、人々は、適切な指導と教育がありさえすれば、すべて民主主義と自由を選ぶはずであるからである。これは、まさに20世紀アメリカ外交の基軸に据えられた考え方であった。また、ウィルソンにとっての不本意な結末も、以後、アメリカがくり返す失敗を予見させたと言える。他国の政府を自分のイメージに沿って造り変えようとする試みは、20世紀を通じて、ラテンアメリカやアジアを中心にさまざまな地域で推められた。しかし、その多くは失敗に終わっている。その原因の一つは、ナショナリズムの壁を指摘できよう。民主化を目標に掲げて強行されるアメリカの介入は、受容する側の国にとっては自分たちの主権と自律性を脅かす侵略行為でしかなかった。ウィルソン大統領に対するメキシコの抵抗は、そういったナショナリズムの典型的な例であった。」<西崎文子『アメリカ外交とは何か -歴史の中の自画像』2004 岩波新書 p.82-83>
 いわば、アメリカの「おせっかい外交」と言うことか。1970年代後半のカーター大統領の「人道外交」とその失敗などもこの例にはいるだろう。また、現在も続いているアフガニスタンやイラクの問題もアメリカの「おせっかい」といえる。ただ、アメリカの「おせっかい」を受け入れて成功した例がある。それが敗戦によってアメリカの占領を受け入れ、民主化を実現させた日本と言えるのではないだろうか。アメリカのイラク統治にも日本統治の成功に学ぶといった話を聞くことがあるが、状況の違いを無視してイスラーム社会に西欧民主主義を押しつけるところに無理があるのではないだろうか。(2009.5.16記)

カリブ海政策の継承

 カリブ海のハイチは、黒人が主体の共和国として、アメリカ合衆国に次いで独立した国であったが、経済的に困窮し弱体化していたところにドイツが進出を企てた。ウィルソンはキューバと同じくカリブ海域を抑える必要から、1915年に海兵隊を上陸させ、軍政を布いた。ハイチにおいても民主主義を育成するとしてアメリカ型の憲法を押しつけるなどしたため、かえって反米感情が強まった。
 このハイチに対する強圧的な姿勢は結局、ウィルソンの外交はアメリカ帝国主義の外交政策であるカリブ海政策の継続であったことを示している。第一次世界大戦後、1929年の世界恐慌に始まる世界的不況が進行したことによって、F=ローズヴェルト善隣外交に転換、1934年にキューバに対してプラット条項を撤廃してその完全独立を認め、ハイチからは海兵隊を撤兵させ軍政を終わらせ、アメリカのカリブ海政策は大きく転換することとなる。
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西崎文子
『アメリカ外交とは何か
-歴史の中の自画像』
2004 岩波新書