光緒帝
清朝末期、第11代の皇帝。幼少で即位し、西太后が摂政となる。親政開始に伴い、1898年に戊戌の変法を試みたが西太后らに幽閉されてしまった。
こうしょてい、こうちょてい。在位1874~1908年。父は道光帝の第7子醇親王、母は西太后の妹。即位したときはわずか4歳であったので、西太后が摂政となった。17歳になって親政を行うようになった。日清戦争では主戦派を支持し、開戦に消極的な西太后と対立した。敗戦後、日本の明治維新を手本に近代化路線をとり、康有為、梁啓超等の改革派を登用して1898年4月に戊戌の変法を断行した。しかし、改革を認めない西太后によって、わずか百日後に逮捕され、幽閉されてしまった(戊戌の政変)。その後、紫禁城の一角に幽閉されたまま、1908年に死んだ。なお、清朝末期の光緒新政は、光緒帝幽閉中の光緒年間に行われた、西太后・袁世凱による清朝の上からの改革のこと。