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華興会

1903年、黄興、宋教仁らが長沙で結成した反清朝の革命を目指す団体。1905年、孫文の興中会などと合同して中国同盟会を結成した。

 清朝末期の1903年、湖南省長沙で結成された革命党派。湖南省出身が多く湖南派ともいわれる。会長は黄興で、会員に宋教仁らがいた。翌04年、哥老会と連携して湖南の長沙で武装蜂起したが失敗し、黄興、宋教仁らは日本に亡命した。

中国同盟会の結成

 1905年8月20日、同じく日本に亡命中の孫文が、自らが率いる興中会と華興会の合同を働きかけ、さらに光復会を加えて、中国同盟会(正式には中国革命同盟会だが、過激な結社であると警戒されることを避け、通称では革命の語を外した)を結成した。
 華興会の指導者黄興と孫文は必ずしも関係が良好だったわけではなく、黄興は中国の特殊性に基づき、各省ごとの自治を主張したのに対し、孫文は革命権力による統一国家を構想していた。また中国同盟会のシンボルの党旗をめぐって、黄興が井田旗、孫文が青天白日旗を主張して罵り合うなど、関係は必ずしも良くなかったが、孫文を総裁、黄興を副総裁格におくことで妥協が成立した。
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