ホセ=リサール/リサール
スペイン植民地化のフィリピンで民族独立運動に起ち上がったが、1896年に刑死する。
ホセ=リサール像
1888年に来日し近くのホテルに滞在した縁で日比谷公園に銅像がある。
フィリピン民族同盟を結成
1887年に『ノリ・メ・タンヘレ(私にさわるな)』、91年に『エル・フィリプステリスモ』を出版し、激しくスペインの支配を告発した。92年、マニラに戻り、社会改革を目ざすフィリピン民族同盟(リガ)を結成したが、ただちにスペインの総督によって逮捕されミンダナオ島に追放された。96年、かねて志願していたキューバへの軍医としての派遣を許可され、ミンダナオ島を離れた。フィリピン革命で処刑される
おりから1896年8月、ボニファシオらが組織した独立派の武装組織「カティプーナン」が蜂起しフィリピン革命が始まると、リサールもその指導者のひとりとして再び逮捕され、簡単な裁判にかけられた。リサールはこの蜂起には直接かかわってはいなかったが、有罪とされ、1896年12月30日に銃殺刑となった。この日は現在、国民的英雄リサールの命日としてフィリピンの祭日となっている。参考 『ノリ・メ・タンヘレ』
ホセ=リサールが書いた小説『ノリ・メ・タンヘレ』については、ベネディクト=アンダーソンが『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』(1983年に発表され、改訂が加えられ、2007年に日本で『定本 想像の共同体』が刊行された)で取り上げられ、よく知られるようになった。(引用)1887年、「フィリピン・ナショナリズムの父」ホセ・リサールは小説『ノリ・メ・タンヘレ』を著し、この作品は今日、近代フィリピン文学最高の作品とされている。それはまた「インディオ」によって書かれた最初の小説でもあった。<ベネディクト=アンダーソン/白石隆・さや訳『定本 想像の共同体』2007 書籍工房早山 p.52>注によれば、「リサールはこの小説を、当時、民族的に多様なユーラシアンと原住民エリートの共通語であった植民者の言語(スペイン語)で書いた。この小説と同じころ、最初の「国民主義的」新聞が、スペイン語ばかりでなく、タガログ語、イロカノ語のような「民族」語でも出版された」という。<同上書 p.52>
ベネディクト=アンダーソンはこの小説の冒頭部分を引用して、そこに小説の登場人物、小説の読み手に暗黙の単一の共同体、つまり「想像の共同体」が生まれていることを述べている。そこから、「国民共同体」がどのようにし「想像」されていくかを、多角的に論じている。