井崗山
1927年10月、毛沢東が指導し、江西省の湖南省との境の山岳地帯のこの地に中国共産党の革命根拠地ソヴィエトを設けた。
せいこうざん。井岡山とも表記する。1927年10月、中国共産党の毛沢東は、約1000名の兵士を率い「労農紅軍」を組織した。翌年には南昌蜂起以来各地を転戦していた朱徳の軍と、彭徳懐の軍などが合流、1万の兵力を持つこととなった。毛沢東は井崗山根拠地で1928年12月から土地改革に着手、地主の土地を没収して農民に分配し、革命のいわば実験を進めた。中国共産党の正史(公認の歴史)ではこの井崗山から中国革命が始まったとされている。
「政権は鉄砲から生まれる」 この井崗山根拠地で、中国共産党は初めて独自の革命拠点を持ち、独自のスタイルで革命運動を開始することとなり、彼らは其の拠点をソヴィエト(蘇維埃)と呼んだ。毛沢東は、以前から党員が武装して農村社会に入り込むことを「山に上る」として提起し、「山に上れば、軍事力の基礎を造り出すことができる」と発言し、国共分裂直後の武漢で、1927年8月に開かれた共産党中央緊急会議では「政権は鉄砲から生まれる」ことに注意せよと述べた。<石川禎浩『中国共産党、その百年』2021 筑摩選書 p.95>
「政権は鉄砲から生まれる」 この井崗山根拠地で、中国共産党は初めて独自の革命拠点を持ち、独自のスタイルで革命運動を開始することとなり、彼らは其の拠点をソヴィエト(蘇維埃)と呼んだ。毛沢東は、以前から党員が武装して農村社会に入り込むことを「山に上る」として提起し、「山に上れば、軍事力の基礎を造り出すことができる」と発言し、国共分裂直後の武漢で、1927年8月に開かれた共産党中央緊急会議では「政権は鉄砲から生まれる」ことに注意せよと述べた。<石川禎浩『中国共産党、その百年』2021 筑摩選書 p.95>
Episode 山賊を仲間にした毛沢東
井崗山一帯は、袁文才と王佐という二人の男を頭目とする百人ほどの山賊の巣窟だった。そこに乗り込んだ毛沢東は二人の行動を「革命行動」であると賞讃して共に戦うことを呼びかけ、仲間にしてしまった。もっとも翌28年7月にモスクワで開かれた中国共産党大会は、盗賊の首領を革命運動家とは認めず、頭目は殺し部下は吸収するという方針を伝え、それが実行されて二人の頭目は殺されてしまった。<高島俊男『中国の大盗賊・完全版』2004 講談社現代新書 p.280>