ストレーザ戦線
1935年、ナチス=ドイツの再軍備を警戒した英仏伊三国首脳会議。
1935年4月、先月のドイツの再軍備に脅威を感じた、イギリスのマクドナルド、フランスのラヴァル、イタリアのムッソリーニの三首脳がイタリアのストレーザで会談し、ドイツがヴェルサイユ条約で連合国に対して約束した軍備制限に対する違反に抗議し、オーストリアの独立を支持する声明を発表した。ストレーザは北イタリアの保養地。
ここで成立したイギリス・フランス・イタリアの対独提携は、ストレーザ戦線と言われ、ドイツの侵出に対する有効な力になるかと思われたが、ムッソリーニのイタリアは、エチオピア侵出を狙っており、イギリス・フランスはそれについては黙認するという矛盾した姿勢を取っていた。また同年6月にはイギリスが単独でドイツと英独海軍協定を締結し、足並みが乱れ、結局は同年10月、イタリアがエチオピア併合を強行したのを機にストレーザ戦線は1年も持たず解体した。
ここで成立したイギリス・フランス・イタリアの対独提携は、ストレーザ戦線と言われ、ドイツの侵出に対する有効な力になるかと思われたが、ムッソリーニのイタリアは、エチオピア侵出を狙っており、イギリス・フランスはそれについては黙認するという矛盾した姿勢を取っていた。また同年6月にはイギリスが単独でドイツと英独海軍協定を締結し、足並みが乱れ、結局は同年10月、イタリアがエチオピア併合を強行したのを機にストレーザ戦線は1年も持たず解体した。