ナチス裁判
国際軍事裁判とは別に、ドイツ国内法である「非ナチ化法」によってナチスの犯罪行為を裁いた裁判。
連合軍は国際軍事裁判所で戦争犯罪を処罰しただけではなく、ポツダム協定で示された非ナチス化を徹底するため、西ドイツ自らがナチスを追求、処罰するよう指示した。西ドイツではそれによって「非ナチ化法」が制定されナチスの組織犯罪に関わった人物の追及を行った。また暴力的犯罪については既存の刑法で裁判を行った。
「非ナチ化法」による裁判では、18歳以上の国民全員に、過去の所属政党歴、ナチス支持活動の有無などを申告させ、積極的な事実が証明されれば10年以下1年6ヶ月以上の禁固か罰金、公職就業禁止処分などが科せられた。この裁判によってニュルンベルクでは無罪となったシャハト(元国立銀行総裁)やパーペン(元首相)らが有罪となった。この裁判は虚偽の申告などが見抜けないなどのために形骸化し、1955年に廃止された。しかし、既存の刑法で裁く裁判はその後も継続され、1975年まで6411人が有罪とされた。
「非ナチ化法」による裁判では、18歳以上の国民全員に、過去の所属政党歴、ナチス支持活動の有無などを申告させ、積極的な事実が証明されれば10年以下1年6ヶ月以上の禁固か罰金、公職就業禁止処分などが科せられた。この裁判によってニュルンベルクでは無罪となったシャハト(元国立銀行総裁)やパーペン(元首相)らが有罪となった。この裁判は虚偽の申告などが見抜けないなどのために形骸化し、1955年に廃止された。しかし、既存の刑法で裁く裁判はその後も継続され、1975年まで6411人が有罪とされた。
Episode ナチス犯罪には時効はない
ナチス追求は、東西冷戦が深刻化し、西ドイツの西側での地位が高まるにつれ、恩赦や減刑がなされ、次第に鈍ってきた。そして時効を理由にナチス裁判を終結させようと動きも出てきた。それに対して国内の社会民主党や、ポーランドなどから追求継続を要求する声も強まった。時効は1965年、69年にそれぞれ延長されてきたが、東ドイツではすでにナチス犯罪と戦争犯罪は時効無しとされていた。また国連でも1968年の総会で「戦争犯罪および人道に対する犯罪の時効不適用に関する条約」が成立していた。西ドイツでは1979年の国会で(ナチス犯罪を含む)すべての謀殺罪(計画的な殺人に対する罪)には時効を適用しない法律が可決され、翌年施行された。<野村二郎『ナチス裁判』講談社現代新書 1993 p.99-109>