パリ協定
1954年、冷戦が続くなか、アメリカ・イギリス・フランス三国が西ドイツの主権回復に同意し、再軍備、NATO加盟を承認した。
1954年10月、パリで開催されたアメリカ・イギリス・フランス三国および西ドイツの4ヵ国会議(パリ会議)で成立した、西ドイツの主権回復と再軍備、NATOへの加盟を承認した協定。パリ条約とも言う。イギリスのイーデン首相が推進したもので、その要点は、次の三点である。
また、西ドイツの再軍備とNATO加盟に反発したソ連と東側諸国は、5月5日からわずか9日後の5月14日に、ワルシャワ条約機構を結成し、西ドイツ・西欧同盟・NATOを仮想敵国とした軍事同盟を立ち上げ、東西冷戦が構造化された。
- 西側三国による西ドイツの占領の終了と西ドイツの主権回復。
- 従来の
西欧同盟 (ドイツ軍国主義を警戒して組織された)の解散と、新西欧同盟(旧加盟国に、西ドイツ・イタリアが加盟した「西ヨーロッパ連合」)の結成。 - 西ドイツのNATO加盟(およびそれに付随するドイツ再軍備の諸条件)。
また、西ドイツの再軍備とNATO加盟に反発したソ連と東側諸国は、5月5日からわずか9日後の5月14日に、ワルシャワ条約機構を結成し、西ドイツ・西欧同盟・NATOを仮想敵国とした軍事同盟を立ち上げ、東西冷戦が構造化された。