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チベット反乱

1959年、チベットで起きた反中国の反乱。ダライ=ラマ14世がインドに亡命し、1962年の中印軍事衝突の原因となった。

 1951年に中華人民共和国の支配下に入ったチベットにおいて、1959年3月、チベット仏教の僧侶や貴族がダライ=ラマ14世を擁した反乱を起こし、駐屯する中国人民解放軍を攻撃した。反乱の中心は社会主義化の進行を恐れたチベットの支配層で、伝統的宗教指導者ダライ=ラマを担ぎ出したものであった。中国軍は反撃して反乱を鎮圧、ダライ=ラマはインドに亡命してチベットの亡命政権を樹立した。

中国・インドの衝突に発展

 インドの国民会議派政府のネルー首相は、ダライ=ラマ支持を表明し、インド軍を中国国境に進出させた。両者は1959年8月以来、衝突を繰り返したが、1962年10月中印国境紛争に拡大し、インド軍が敗北した。中国軍は3月までにチベットの反乱を鎮定し、ダライ=ラマはチベットに戻ることができなくなり、現在も亡命を続けている。
 チベットでは1965年9月1日に正式に自治区が発足したが、現在も中国からの離脱を求める動きがくすぶっている。

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