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中印国境紛争

1962年10月、中国とインドの間で起こったヒマラヤ地方での国境紛争。中国軍が優勢のまま、11月に停戦。ネルーはアメリカに支援を要請、非同盟主義を放棄した。

 1962年10月に起こった中華人民共和国軍とインド軍の国境での衝突。中印戦争ともいう。中国とインドは1954年に周恩来ネルーの間で「平和五原則」による友好関係を成立させていた。また、ネルーは非同盟主義を提唱し、二大陣営のいずれとも同盟関係を結ばないことをインド外交の方針としていた。

チベットの反乱から国境紛争へ

 ところが、1957年ごろからヒマラヤ山中の両国国境をめぐって対立が始まった。チベットは中華人民共和国に併合されたが、1959年3月に独立を目指してチベットの反乱が起こった。しかし反乱は中国軍に鎮圧され、反乱の中心にあったダライ=ラマ14世はインドに亡命した。このことから中国とインドの対立は決定的となった。ネルーは中国との友好という原則があるとはいえ、チベットの保護とインドの安全のためには軍事行動もやむを得ないと表明した。両者の最初の武力衝突は、1959年8月に起こったが、その後も緊張が続いた。
 1962年10月、中国軍が中印国境の東部(1914年、イギリスの仲介で設けられたマクマホン=ライン)と西部(カシミール地方)で軍事行動を開始、インドも「祖国防衛」を呼びかけ応戦し、戦争状態に入った。しかし、インド軍は全戦線で中国軍に圧倒され、苦境に立たされることになった。

ネルー、非同盟外交政策を放棄

(引用)厳寒のヒマラヤで夏服で戦ったインド軍が壊滅的な敗北を被り国中がパニックに陥った。ネルーはケネディに支援を要請し、ケネディはネルーの体面を保ちながら支援に踏み切った。十一月下旬中国は一方的に休戦を宣言し、兵を引き揚げた。この戦争は米印関係を好転させたが、ネルーの非同盟主義が破綻したことを明らかにした。中印戦争でソ連は中立を保ち、それ以上に非同盟主義で連帯する国家でインドを支援した国はほとんどなく、その政策を常に批判していたアメリカから支援を受けざるを得なかったのである。この対米傾斜はアメリカの同盟国パキスタンを中国に接近させた。このときすでに病気であったネルーは、64年5月死亡した。<猪木武徳/高橋進『世界の歴史29 冷戦と経済繁栄』p.138>

未解決の中印国境問題

 中印国境紛争は「宣戦布告なき戦争」であった。中国軍は優勢なまま、全面的な停戦と撤退を表明した、東部ではインドの主張するマクマホン=ラインを中国は承認せず、西部のカシミール地方ではインドが自国領であるとするアクサンティ地区を中国は実効支配し、自動車道路を建設している。この戦争開始と共にインドと中国はそれぞれ大使を引き揚げ、外交関係は断絶したが、中国はソ連、インドはパキスタンというそれぞれ新たな敵対国があらわれたため、ようやく1976年に大使を交換し外交関係を再開させた。しかし、国境問題は依然として未解決のまま、棚上げされた状態である。 → インド=パキスタン戦争

2020年の中印衝突

 インドはネルー以来の非同盟中立外交を、国民会議派政権も継承し、20世紀末にそれに代わって政権を担当するようになったインド人民党もその原則を変えなかった。2014年以降はモディ首相が高い国民的支持と経済成長を背景に、安定した政治を進めたが、その外交で最も神経を要したのが、隣国パキスタンと中国との関係であり、インドが大国化するとともにその緊張が高まった。
 2020年6月15日、チベット西部とパキスタン占領下のカシミールにはさまれたラダック地方のカルワン渓谷で、印中両軍が衝突し、20名のインド兵が死亡するという事件が起きた。中陰紛争で死者が出たのは45年ぶりだった。中国側死者は公表されていないが43名という報道もある。インド側は中国軍がインドの実効支配線を侵犯したといい、中国側はインド軍が国境を越えて侵入した、と主張しているが、衝突では発砲はなく棍棒や石で殴り合ったという。その前後も中国軍の小規模な侵犯が相次いだが、その背景には、モディ政権が2019年10月、ジャンム・カシミール州を連邦直轄地に編入したときに発表した新しい地図に、中国が実効支配してるラダック地方の東のアクサイチン地区もインドの直轄に加えられていたことだった。実際、インドはジャンム・カシミールへの道路建設などのインフラ整備を進めており、それが中国を刺激したものと思われる。
 モディ政権は2014年以来、中国の習近平とは数回にわたって会談し、BRICSでも協力し良好な関係を深めていたと考えていたので、中国軍の侵攻は意外だったようだが、中国はチベットに隣接するラダック、ネパール、シッキム、ブータン、アルナチャル・プラデシュを「チベットを掌(てのひら)とする五本の指」として重視していることが改めてはっきりしたと言える。2020年6月の衝突を受け、インド国内で反中国感情が強まったこともあり、モディ政権は中国に対する経済制裁などに踏み切ったが、一方で中国経済への強い依存関係(特にスマホはほとんどが中国製)があるため、不徹底に終わった。中国もアメリカとの対抗もあってインドとの全面的対決には踏み切れないので、表面的には友好関係を回復しながら双方とも紛争地帯の軍備増強に務めている。<近藤正規『インド――グローバル・サウスの超大国』2023 中公新書 p.177-195>

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