ダライ=ラマ14世
チベット仏教の最高指導者。1959年のチベットの反乱でインドに亡命。現在も亡命生活を送りながらチベットの自治を要求する運動を続けている。
チベットのダライ=ラマはチベット仏教の宗教指導者であると共に、祭政一致であるため政治権力も併せ持っている。ダライ=ラマ14世は、1939年、4歳の時、先代ダライ=ラマが死去し、その化身として第14代を継いだ。ラサでダライ=ラマとして教育されて成人し、50年から親政をおこなったが、成立した中華人民共和国は清朝時代に次いでチベット領有を表明して東チベットを占領した。51年にダライ=ラマは中国への併合を承認する協定に調印しチベットは中国領となった。しかし反発したチベット人は59年、中国軍と衝突し「チベット反乱」が始まった。
ダライ=ラマは周囲の勧めでインドに亡命、翌60年にインドのダラムサラにチベット亡命政権を樹立した。インド首相のネルーはダライ=ラマ14世の支持を表明し、中国を批判したため、平和五原則を掲げていたインドと中国の関係が悪化し、1962年には中印国境紛争にエスカレートする。
それ以後、ダライ=ラマ14世はチベットの独立を国際社会に訴えながら、なおも宗教指導者としてもチベット人の崇拝を受けている。1989年にはノーベル平和賞を受賞したが、チベットへの帰還のめどは立っておらず、現在も亡命の身である。
ダライ=ラマは周囲の勧めでインドに亡命、翌60年にインドのダラムサラにチベット亡命政権を樹立した。インド首相のネルーはダライ=ラマ14世の支持を表明し、中国を批判したため、平和五原則を掲げていたインドと中国の関係が悪化し、1962年には中印国境紛争にエスカレートする。
それ以後、ダライ=ラマ14世はチベットの独立を国際社会に訴えながら、なおも宗教指導者としてもチベット人の崇拝を受けている。1989年にはノーベル平和賞を受賞したが、チベットへの帰還のめどは立っておらず、現在も亡命の身である。