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パンチャシラ/建国五原則

インドネシア共和国の国是とされている五原則。1945年、日本軍政下での独立準備委員会でスカルノが提唱し、独立後の憲法の前文に入れられた。多様性の中の統一を進める上での五原則をしめしたものでパンチャ=シラという。1960年代後半からのスハルト政権下で特に強調された。

 インドネシア共和国の国是とされる五原則。パンチャは5、シラは「徳」をあらわすサンスクリット語である(ネルーと周恩来が掲げた平和五原則もパンチャ=シラという)。インドネシアは長くオランダの植民市輩下にあり「オランダ領東インド」と言われていたが、1920年代からインドネシア民族主義運動が活発になってきた。しかし、多くの民族や宗教が混在し、地形的にも多くの島嶼に分かれているので、統一した国家として独立することは容易でなく、スカルノらの指導も困難を極めた。1942年から日本軍の軍政下に置かれ、スカルノらはそれに協力することによって、ようやく1944年9月に、日本は時期は未定としたものの、独立を認め、独立準備委員会が開催されることになった。その会議も難航したが、ようやく45年5月に、スカルノが提唱したこの建国五原則を新しい国家理念にすることで合意が成立した。

インドネシアの建国理念

 その後、日本の敗北を受けて、1945年8月17日のインドネシア共和国は独立を宣言、新たに制定された憲法の前文に、五原則が謳われた。この建国五原則とは、次のような文面と順序で規定されている。
 1.唯一神への信仰
 2.公平で文化的な人道主義
 3.インドネシアの統一
 4.協議と代議制において英知によって導かれる民主主義
 5.インドネシア全人民に対する社会正義
 ここで示されたことは、「多様性の中の統一」という民族独立運動の課題を克服するための五原則であるが、特に第1項目の「唯一神への信仰」については、議論が分かれ、その解釈や、項目の順番などで様々な議論がなされた。その過程で一致したことは、イスラーム教を強制することではなく、広く敬虔な真理に復するという意味であり、政教分離の原則とは矛盾しない、というものであった。インドネシアはイスラーム教徒が多いことが現実であるが、ヒンドゥー教徒、仏教徒、キリスト教徒も容認し、政治は特定の宗教に服従することのない、政教分離の原則をむしろここで表明している、とされた。

スハルト政権下での強調

 パンチャ=シラは一貫してインドネシアの建国理念として重視されてきたが、特にスハルト政権になってから、パンチャ=シラ精神として学校教育などを通じて徹底がはかられている。その中で重視されているのが第1項の「唯一神への信仰」であり、インドネシアが敬虔な宗教国家であることが強調されている。インドネシアで最も多い宗教はイスラーム教だが、イスラーム教を国教としているわけではなく、キリスト教のカトリックとプロテスタント、ヒンドゥー教、仏教は容認されている。ただし、この5つの宗教のみであり、それ以外の土俗的な信仰は宗教と認められていない。国民はこの5つの宗教のいずれかに分類、登録されており、国民の祝日にもキリスト教や仏教の祭日も含まれている。この項が強調されるのは、共産主義思想はインドネシアのパンチャシラ精神に合わないという点であり、インドネシア共産党の非合法化の理由とされている。 → 現代のインドネシア
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