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デジ

社会主義国ルーマニアの首相。1960年代に独自の工業化と外交を進める。

 ゲオルギウ=デジはルーマニア共産党指導者で、1960年代にルーマニアの自主路線の基礎を築いたことが重要である。デジという名は彼が1934年に投獄されたときの刑務所のある町の名から取った筆名。1945年からルーマニア労働者党書記長。スターリン体制のもと、ティトー一派と目された指導部が次々と粛清された後、権力を獲得し、1952年には首相兼任となった。1956年のソ連のスターリン批判の後、ルーマニアにも反体制運動が起こったが、デジ政権は妥協とともに弾圧も強め、危機を乗り切った。1960年から国内の石油資源を背景とした積極的な工業化計画を打ち出したが、一方ソ連のフルシチョフはヨーロッパ経済共同体(EEC)に刺激されて、それに対抗するためコメコン(経済相互援助会議)を超国家的な機構とし、加盟国間に分業体制を敷くことを構想して、ルーマニアは農業生産主体の経済を強制しようとしたため、デジは強く反発し、独自の工業化路線を堅持した。

三台のピアノを同時に弾く

 一方、アメリカやフランスにも経済使節を派遣し、交流を求めた。このようなデジの、コメコン・ワルシャワ条約機構にとどまりながら、アメリカ・フランスなどとの経済協力を進め、中ソ対立では中立の立場を維持する独自の外交は「三台のピアノを同時に弾く」といわれた。デジは1965年に死去し、その権力はチャウシェスクに継承された。<木戸蓊『激動の東欧史』1994 中公新書 などによる>
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木戸蓊
『激動の東欧史』
1994 中公新書