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ティトー

ユーゴスラヴィア共産党指導者。ナチスドイツに対するパルチザン闘争を指導、戦後のユーゴスラヴィア連邦国家を建設。非同盟政策というソ連にも従属しない独自路線をとった。

ティトー(右端)
パルチザン指導部のティトー(右)
『ユーゴスラヴィア現代史』 p.75
 ティトーはチトーと表記されることも多い。Josip Broz Tito 1892-1980 本名をブローズといい、父はクロアティア人、母はスロヴァニア人を両親とするたたき上げの労働者で、ユーゴスラヴィア共産党の指導者となり、第二次世界大戦ではパルチザンを率いてドイツ軍や国内のファシスト勢力と戦い、勝利に導いた。

ユーゴスラヴィア連邦の建国

 ティトーの指導によって対ドイツ戦で勝利し、圧倒的な人望を集め、戦後はユーゴスラヴィア連邦共和国の大統領として強力な指導力の下に、「モザイク国家」といわれたユーゴを一本にまとめた。
 1946年1月に成立したユーゴスラヴィア連邦は、「第二のユーゴ」あるいは「AVNOJのユーゴ」、「ティトーのユーゴ」といった呼び方もされる。戦後のユーゴはティトーなしには考えられない。1937年末にユーゴ共産党の書記長に任命されたティトーは、知識人が多くを占める当時の共産党指導部にあって、数少ないたたき上げの労働者の一人であった。41年6月から始まるパルチザン戦争の最高司令官として、ボスニアやモンテネグロの山岳地を転々としながら困難な戦いを続け、43年5月から8月にかけてドイツの第5次攻勢の際、山中を移動中の最高司令部が爆撃をくらい、イギリスからの連絡将校の一人が死亡、ティトーも大けがを負った。こうした命がけの戦いを重ねながら、クロアチア人とスロヴェニア人を両親とする個人的な生い立ちもあり、ティトーは民族問題に取り組む。始めはソ連社会主義の模倣に過ぎなかったが、パルチザン戦争時に勝るとも劣らないほどの困難であった48年のコミンフォルム除名後の試行錯誤の中から、ソ連を反面教師としてさまざまな実験を続けることになる。それは「独自の社会主義」を形作る自主管理であり、非同盟であり、70年代以降の連邦制であった。
自主管理社会主義 共産党指導者としてソ連とは協力関係にありながら、スターリンの個人崇拝には批判的でソ連共産党と対立し、1948年にはコミンフォルム除名という試練を受けることとなった。しかし、ティトーは独自の社会主義理論である自主管理社会主義を構築することによって自国の共産党をまとめ、ユーゴスラヴィア国家の統一も維持することに成功した。
非同盟主義の外交 国際社会では非同盟主義を掲げ、エジプトのナセル、インドのネルー、中国の周恩来らとともに第三世界のリーダーとして活躍し、1961年には第1回非同盟諸国首脳会議を首都ベオグラードで主催した。
ソ連との関係 また1953年にスターリンが死去するとソ連との関係を改善し、55年にフルシチョフがユーゴを訪問し国交を正常化させた。しかし、同年結成されたワルシャワ条約機構には加盟しなかった。1968年のチェコ事件では、ソ連のブレジネフ政権がブレジネフ=ドクトリン(制限主権論)を掲げて軍事介入したことに対しては強く批判した。

その死とユーゴスラヴィアの解体

 国内では統合の象徴としての存在が際だつようになり、1974年には終身大統領に選出された。しかし、1980年に87歳で死去すると、重しがはずれたようにユーゴスラヴィア連邦内の共和国で民族主義が再燃し、1991年のスロヴェニア・クロアチアの独立宣言から一挙に解体に向かうことになる。 → ユーゴスラヴィアの解体

ティトーの「第二の死」

 自主管理社会主義は「友愛と統一」で多民族国家ユーゴの維持を図ろうというものであった。1960年代には緊張がゆるみ、加えて自主管理社会主義が実質化され、分権化が進むと、民族問題が再燃した。ティトーは民族・共和国間の均衡をとることによって問題の解決に当たったが、その民族政策は結局のところ、「第二のユーゴ」の解体、そして民族対立による凄惨な内戦に帰結してしまった。ティトーは1980年に死去するが、「ティトー批判は死後すぐではなく、80年代後半になり、とりわけセルビアにおいて顕著になった。「74年憲法体制」といったティトーの「遺産」も批判の対象とされるようになり、ジャーナリズムでは「ティトーの第二の死」という表現が好んで用いられた。パルチザン戦争の英雄であり、カリスマ性を備えたティトーに対する、人々の敬愛の念や親しみの感情がすっかり消え失せ、ティトーという呼称ではなく、ブローズという本姓でかれを冷たく呼ぶようになっていく。」<柴宜弘『ユーゴスラヴィア現代史』1996 岩波新書 p.104-106>

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柴宜弘
『ユーゴスラヴィア現代史
新版』
2021 岩波新書