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ワレサ/ヴァウェンサ

1980年、ポーランド民主化運動組織の連帯を指導した労働者。1989年にポーランド民主化を実現し、90年にポーランド大統領に選出された。

ワレサ
Walesa 1943-

ポーランド民主化の旗手

 ワレサ Walesa は、ポーランド語の表記では、Wałęsa で、ヴァヴェンサとするのが最も発音に近い。日本では当初からワレサとされているので定着しているが、最近は原音に近いヴァヴェンサという表記も見かけるようになっている。
 1970年代のポーランドでは、ソ連型の社会主義体制のもとで経済が停滞、言論の自由も奪われて、国民の不満が強まっていた。ワレサは名もない労働者の一人であったが、労働運動「連帯」の指導者となり、1980年のストライキを指導し、東欧民主化の端緒を開き、1989年のポーランドの民主化を達成し、1990年にはポーランドの大統領に選出された。正確な表記はヴァウェンサ(ワウェンサとも)。

「連帯」の組織

 ワレサは自らも「本を読んだことがない」という学歴のない電気工であった。グダニスク造船所で働きながら、労働者の間で指導者として頭角を現し、1980年7月に始まったストライキを指導し、1980年9月1日には「連帯」を組織して政府と渡り合った。ポーランドの民主化の端緒となり、さらに東欧全体の民主化の先駆的な働きをした。1981年12月にはヤルゼルスキ政権による戒厳令によって弾圧されたが、1983年、ノーベル平和賞を受賞している。1989年の民主化運動の高まりの中で、「連帯」運動の象徴的人物として復活する。

ポーランド民主化

 1989年2月に始まった円卓会議でヤルゼルスキ政権が「連帯」の合法化に踏み切り、1989年6月に行われた東欧圏初の自由選挙の結果「連帯」が政党としても第1党となり、統一労働者党を含む連立内閣が成立した。4月のポーランドの民主化は東欧諸国にただちに影響を与え、一連の東欧革命が連鎖反応として起こっていった。

大統領へ

 連帯系の知識人であるマゾビエツキが首相になると、ワレサは権力欲を露わにするようになり、1990年末の大統領選挙に立候補し、決選投票の結果、マゾビエツキらを破って大統領となった。ワレサ大統領は社会主義内での経済改革と自由化、民主化を推進したが、1995年の大統領選挙で敗れ、政界を引退した。

Episode 『鉄の男』ワレサ

 ワレサは「連帯」運動の創設者としてあまりにも有名で、たたき上げの労働者から大統領にまでなったポーランド版豊臣秀吉と言ったところだ。その類い希な強靱な肉体と行動力は『鉄の男』と言われた。それは同じ頃イギリスに登場したサッチャー首相が『鉄の女』と言われたことと対をなしていた。ワレサはまた他のポーランド人一般と同じく、敬虔なカトリック教徒で、信仰の象徴「黒のマドンナ」のバッジをいつも胸につけていた。東欧民主化の先鞭をつけ1983年にはノーベル平和賞を受賞し、結果として東西冷戦を終わらせることとなったという大きな功績は評価される。しかし、ワレサについては、発言がころころ変わる定見のない人物とか、権力欲だけの男だとか、非難も多い。現代のポーランドでの人気はだいぶ落ちてしまっているようだ。
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