東欧革命
1989年、東ヨーロッパ社会主義諸国で連続して起こった民主化、議会制への転換、市場経済の導入などの諸改革をいう。これによって東欧社会主義国は消滅し、同年末に米ソ首脳がマルタ会談で冷戦の終結を宣言。91年にはソ連自体が解体され消滅した。
1989年に、東ヨーロッパ社会主義圏の諸国で一斉に起こった、社会主義体制から市場経済の導入、複数政党制による議会制度の導入などの民主化を実現させた変革を東欧革命という。その前提は、前年の1988年にソ連のゴルバチョフ政権が新思考外交に転換し、新ベオグラード宣言でブレジネフ=ドクトリン(制限主権論)の否定を声明、東欧各国がそれまでソ連圏の一員という枠内で進めていた改革を一挙に各国独自に展開することが可能になったことにある。
なお同じ1989年6月4日に、中華人民共和国においても、鄧小平政権が経済の改革開放路線をとりながら、政治では共産党一党支配を崩さないことに対する中国民衆の民主化運動が起こったが、こちらの天安門事件(第2次)は政権が軍隊を動員して鎮圧されてしまった。
1989年東欧革命の1年
この1年間に東欧で起こったのは次のような事である。- 1月 ハンガリーで複数政党制が認められる。
- 3月 ソ連、初の複数候補者制による連邦人民代議員の選挙。
- 4月 ポーランド、円卓会議で「連帯」合法化。
- 8月 バルト三国の「人間の絆」
- 9月 ポーランドに「連帯」のマゾビエツキ政権成立。ハンガリー・オーストリア国境開放される。
- 10月 東ドイツ、ホネカー書記長解任
- 11月9日 ベルリンの壁の開放
- 11月10日 ブルガリアで政権交代 ジフコフ政権倒れる
- 11月17日 チェコスロヴァキアのプラハで連日のデモ 24日 ヤケシュ書記が辞任、ビロード革命
- 12月3日 米ソ首脳、マルタ会談で冷戦の終結を宣言
- 12月 ルーマニアのデモが激化 25日 チャウシェスク大統領夫妻処刑される
- 12月29日 チェコスロヴァキアでハヴェル大統領選出
なお同じ1989年6月4日に、中華人民共和国においても、鄧小平政権が経済の改革開放路線をとりながら、政治では共産党一党支配を崩さないことに対する中国民衆の民主化運動が起こったが、こちらの天安門事件(第2次)は政権が軍隊を動員して鎮圧されてしまった。