分子生物学/DNA
第二次世界大戦後に生命現象の分子レベルの研究である分子生物学が急速に発達した。その中で1953年には細胞中の遺伝をコントロールするデオキシリボ核酸(DNA)の二重らせん構造が発見され、医学、薬学、生物学、人類学などに飛躍的な成果を生み出した。
20世紀後半の最大の発見とされるのがDNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造の発見である。1953年、イギリスのケンブリッジにあるキャヴェンディッシュ研究所で、25歳の青年科学者ワトソンが、先輩のクリックと二人で研究しその二重らせん構造をつきとめたものであった。この発見はX線回折像の写真撮影によって可能となったので、ワトソンとクリックの二人と、その写真撮影に成功したウィルキンスの三人に、1962年のノーベル医学生理学賞が与えられた。
DNA二重らせん構造の発見は上記のようにワトソン・クリック・ウィルキンスの三人の業績とされ、ノーベル賞を得ている。しかし、もう一人、ロザリンド=フランクリンという女性科学者がいて、彼女こそがDNA二重らせん構造をつきとめ、その撮影に成功した科学者であったにもかかわらず、その業績は闇に葬られてしまったのだという。彼女は1920年、イギリスの豊かな家庭に産まれ、ケンブリッジ大学を優秀な成績で卒業、ロンドンのキングスカレッジでX線によるDNA結晶の解析を担当した。遺伝子の本体がDNAであることはすでに1930年代にアメリカのエイブリーが発見していたが、誰もまだその構造を明らかにする画像を提示できないでいた。それを彼女は一人で地道な(帰納的方法で)追い求め、1950年ごろ微少なDNAにX線を照射して写真撮影に成功、そのの二重らせん構造を数学的に明らかにした。
そのころ若きワトソンとクリックも(演繹的方法で)研究を進めていたが、フランクリンの上司であったウィルキンスからフランクリンの非公開のレポート(公開用の論文ではなかった)を見せられ衝撃を受け、その画像をもとに分子構造を図式化し、自分たちの業績として発表した。ワトソンらは1962年にノーベル賞を受賞したが、フランクリンはすでに1958年に37歳でガンで死去していた。ワトソンは後に書いた著書で、フランクリンはうるさい女性研究者に過ぎず、その研究は見るべきものがなかったと記し、フリックも彼女の電子写真を見たとは明らかにしなかった。彼女の研究者としての名誉は回復されていないが、そこには女性科学者への蔑視があり、また彼女がユダヤ人であったことが関係あるのではないかと、その弁護者たちは主張している。なお、彼女の死因はX線を過剰に浴びたためではないか、とも疑われている。<福岡伸一『生物と無生物のあいだ』2007 講談社現代新書 p.105-130>
なお、福岡氏のこの本には、新型コロナウィルスの検出で用いられているPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)によるDNA検査法を発見しノーベル賞を受賞したキャリー=マリスが西海岸でウィンドサーフィンに熱中するプレイボーイだったなど、興味ぶかい話と共に、生命とは何かという問いを最新の分子生物学の知見から教えてくれる好著である。
ヒトの細胞の中で、DNAがある場所は2つ、核とミトコンドリアであるが、ミトコンドリアにあるDNAは核にあるそれに較べて約20分の1というわずかしかない。ところが、ミトコンドリアDNAには変わった特徴があり、母系遺伝しかしない。核DNAは父親と母親から半分ずつ子どもに伝わるが、ミトコンドリアDNAは父親からは子どもに伝わらず、母親からだけ伝わる。ということはミトコンドリアDNAからみれば先祖は一人しかいない。(核DNAから見れば、先祖は倍々に無限に増えていく。)そして今のところ、20万年前のホモ=サピエンスの最初の化石がアフリカにしか見つかっていないということは、現生人類のミトコンドリアDNAでたどる先祖はアフリカにいた一人の女性、ということになる。(起源が30万年前になっても、それがアフリカであれば、やはりつまり、子どもがいなかったり、男の子しか産まなかった女性のミトコンドリアDNAは遺伝することなく消滅するから、ということか。この要約ではわかりずらいと思うので、気になる人は更科功氏の著書のp.187の図を見てください。)<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書 p.186-191> → 関連アフリカ単一起源説
化石人類研究での分子生物学の応用によって、最近ではホモ=ネアンデルターレンシスとホモ=サピエンスの種の違いなどが明らかになっている。
Episode DNA二重らせん構造の本当の発見者は誰か
DNA二重らせん構造そのものの説明は理科や生物の教科書に任せ、ここではその発見にまつわる話を紹介しよう。世界史の学習では参考にとどめる程度でよいが、エピソードとするには深刻な話でもある。DNA二重らせん構造の発見は上記のようにワトソン・クリック・ウィルキンスの三人の業績とされ、ノーベル賞を得ている。しかし、もう一人、ロザリンド=フランクリンという女性科学者がいて、彼女こそがDNA二重らせん構造をつきとめ、その撮影に成功した科学者であったにもかかわらず、その業績は闇に葬られてしまったのだという。彼女は1920年、イギリスの豊かな家庭に産まれ、ケンブリッジ大学を優秀な成績で卒業、ロンドンのキングスカレッジでX線によるDNA結晶の解析を担当した。遺伝子の本体がDNAであることはすでに1930年代にアメリカのエイブリーが発見していたが、誰もまだその構造を明らかにする画像を提示できないでいた。それを彼女は一人で地道な(帰納的方法で)追い求め、1950年ごろ微少なDNAにX線を照射して写真撮影に成功、そのの二重らせん構造を数学的に明らかにした。
そのころ若きワトソンとクリックも(演繹的方法で)研究を進めていたが、フランクリンの上司であったウィルキンスからフランクリンの非公開のレポート(公開用の論文ではなかった)を見せられ衝撃を受け、その画像をもとに分子構造を図式化し、自分たちの業績として発表した。ワトソンらは1962年にノーベル賞を受賞したが、フランクリンはすでに1958年に37歳でガンで死去していた。ワトソンは後に書いた著書で、フランクリンはうるさい女性研究者に過ぎず、その研究は見るべきものがなかったと記し、フリックも彼女の電子写真を見たとは明らかにしなかった。彼女の研究者としての名誉は回復されていないが、そこには女性科学者への蔑視があり、また彼女がユダヤ人であったことが関係あるのではないかと、その弁護者たちは主張している。なお、彼女の死因はX線を過剰に浴びたためではないか、とも疑われている。<福岡伸一『生物と無生物のあいだ』2007 講談社現代新書 p.105-130>
なお、福岡氏のこの本には、新型コロナウィルスの検出で用いられているPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)によるDNA検査法を発見しノーベル賞を受賞したキャリー=マリスが西海岸でウィンドサーフィンに熱中するプレイボーイだったなど、興味ぶかい話と共に、生命とは何かという問いを最新の分子生物学の知見から教えてくれる好著である。
DNAによるイブ仮説
約20万年前にアフリカに住んでいた一人の女性が、現生人類つまりホモ=サピエンスのすべての人の祖先であるという説がある。これはミトコンドリアDNAを調べることによって提唱されたので、この女性はミトコンドリア・イブと呼ばれている。ところが、最近はホモ=サピエンスの起源を約30万年前とする説が有力となっており、イブ仮説と矛盾するように見える。だが、実は、ホモ=サピエンスの起源とミトコンドリア・イブのあいだにはもとから何も関係がないのだ。ヒトの細胞の中で、DNAがある場所は2つ、核とミトコンドリアであるが、ミトコンドリアにあるDNAは核にあるそれに較べて約20分の1というわずかしかない。ところが、ミトコンドリアDNAには変わった特徴があり、母系遺伝しかしない。核DNAは父親と母親から半分ずつ子どもに伝わるが、ミトコンドリアDNAは父親からは子どもに伝わらず、母親からだけ伝わる。ということはミトコンドリアDNAからみれば先祖は一人しかいない。(核DNAから見れば、先祖は倍々に無限に増えていく。)そして今のところ、20万年前のホモ=サピエンスの最初の化石がアフリカにしか見つかっていないということは、現生人類のミトコンドリアDNAでたどる先祖はアフリカにいた一人の女性、ということになる。(起源が30万年前になっても、それがアフリカであれば、やはりつまり、子どもがいなかったり、男の子しか産まなかった女性のミトコンドリアDNAは遺伝することなく消滅するから、ということか。この要約ではわかりずらいと思うので、気になる人は更科功氏の著書のp.187の図を見てください。)<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書 p.186-191> → 関連アフリカ単一起源説
化石人類研究での分子生物学の応用によって、最近ではホモ=ネアンデルターレンシスとホモ=サピエンスの種の違いなどが明らかになっている。
DNA指紋法の発見
1984年、一人一人異なるDNAの一部を、目に見える模様として描きだしDNA指紋法が、アレック・ジェフリーズというレスター大学の若い研究者が発見した。遺伝学者のジェフリーズは灰色アザラシの肉塊の遺伝子を調べていたとき、まったく偶然でその遺伝子内にあるDNAの断片を発見した。DNAのらせんは、塩基対と呼ばれるA,C,G、Tの4つの組合せ(A-T,C-G,T-A,G-C)の並ぶ順でさまざまに異なっている。その組合せをX線フィルムに投影するのがDNA指紋法で、それによって百人百様の違いが判明する(一卵性双生児を除き、2人の人間がまったく同じDNA指紋を以て入る確率は10億分の1から1兆分の1と推定されている)。まさに「バーコード」とそっくりだ。このDNA指紋法は、現在では個人の識別はもちろん、民族出自の確定、民族移動のパターンの研究に利用され、さらに犯罪捜査では無くてはならないものになっている。<スレンドラ・ヴィーマ/安原和見訳『ゆかいな理科年表』2008 ちくま学芸文庫 p.374-375>