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ホモ=サピエンス

われわれ「現生人類」を意味する人類学上の学名。知恵ある人の意味。「新人」ともいう。約20万年前、アフリカで進化を遂げ、16~10万年ほどでユーラシアにひろがり、新大陸もふくめて全世界に拡散した。

われわれ現生人類

 人類を、人類学上で分類するとき、現生人類をホモ=サピエンスという。かつては、人類の進化過程を単線的な猿人・原人・旧人・新人の四段階に分け、ホモ=サピエンスは新人に対応するとされていたが、化石人類学の進歩で現在はこのような単線的段階論は退けられ、人類にはいくつもの種が存在し、それらは進化や分化、絶滅を繰り返したと考えられるようになっている。
 化石人類のなかでのホモ=サピエンスの位置づけで有力な説は、アフリカのホモ=エレクトゥスの一部から進化したホモ=ハイデルベルゲンシスがアフリカを出てネアンデルタール人に進化した一方で、アフリカに残った集団から、約20万年前(30から25万年前とする見方もある)ごろホモ=サピエンスが進化したという考え(アフリカ単一起源説)であろう。
 さらにホモ=サピエンスは約16万年前頃から約10万年前ごろまでにユーラシア各地に進出(人類の拡散)し、その一部はヨーロッパでクロマニヨン人として知られ、石刃技法を発達させ、洞穴絵画を残している。ホモ=サピエンスはその後、気象の変動などを乗り切って生存し続け、現在の文明を築いたが、それ以外のヒト科ホモ属はすべて絶滅し、ホモ=サピエンスのみが“唯一の生き残ったヒト”となった。

ホモ=サピエンスの意味

 ホモ=サピエンスは、18世紀のリンネが提唱した属名と種名を組み合わせた二名法によるラテン語の学名で、属名ホモ(homo) は「人間」、種名サピエンス(sapience)は「知恵」を意味するので、「知恵ある人」という意味になる。属の上位分類は「科」であり、この場合は、ヒト科の中のホモ属の一つの種がホモ=サピエンスとなる(通常「サピエンス」だけで使うことはしない)。
解剖学的な特徴 ホモ=サピエンスの特徴、つまり他の化石人類との違いは、一つには額(ひたい)が垂直に近い(他の人類は水平に近い)ことである。これは大脳の前頭葉が大きくなったことを反映している。また、眼窩上隆起が小さくなって消滅し、顎(あご)が小さくなって顔面が平らになり、頤(おとがい)が発達した。
出現時期と文化 ホモ=サピエンスの出現は約20万年前のアフリカとされている。具体的には約19万5千年前のエチオピアのオモ盆地で発見された頭蓋骨が現生人類にかなり近い。最近、モロッコのジェバル・イルード遺跡から約30万年前の頭蓋骨が見つかり、部分的にホモ=サピエンスの特徴を持っていた。まだ議論はあるようだが、ホモ=サピエンスの起源を約30万年前と修正すべきであるという見解もある。また、ホモ=サピエンスが石刃技法で作ったと思われるナイフのような刃がある石器や、木の実などをすりつぶすのに使ったと思われる石皿、着色するのに便利な顔料なども、約20万年以前にアフリカ各地で見つかっている。<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書 p.182-185>

用語の注意

 種であることは、同種であれば交尾可能ということであり、そこからわかるように、現在地球上に存在するヒトはすべてホモ=サピエンスである。「人種」という言葉があり、白色人種(コーカソイド)や黄色人種(モンゴロイド)、黒色人種(ネグロイド)などといわれるが、これは生物学、人類学上の「種」ではないので注意を要する。東京に住む日本人も、ニューヨークやナイロビに住む黒人も、シベリアやカナダの極北にすむヒトもすべてホモ=サピエンスに属する「種」である。人間の肌の色の違いは種の違い(人種の違い)ではなく、自然環境、生活環境の違いによる違いにすぎない。

ヒトの進化の過程とホモ=サピエンス

 類人猿で直立歩行するようになったものから進化したのが人類であり、生物学的にはヒト科とされる。ヒト科にはホモ属以外に化石人類として、約700万年前に現れた最古のサヘラントロプス=チャデンシス以降、アフリカで出現しており、ラミダス猿人などはアルディピテクス属とされている。420万年前から、よく知られたものにアウストラロピテクスがあらわれるが、これも属名で、その中にアウストラロピテクス=アフリカヌスなど幾つかの種がある。現在はアウストラロピテクスの華奢型と言われる系統からホモ属が進化したというのが有力な仮説となっている。
 ホモ属の最初は約250万年前のホモ=ハビリス(これには異論もあるようだ)がはじめで、190万年前のホモ=エレクトゥス(原人)に至って初めてアフリカから出てユーラシアに広がった。ジャワ原人、北京原人はその地域集団である。さて、ホモ=エレクトゥスの中でアフリカに残ったものから、ホモ=ハイデルベルゲンシスが生まれ、さらにそこからホモ=ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)とホモ=サピエンスが分かれて進化したというのが現在、有力な考え方になっている。

ネアンデルタール人はホモ=サピエンスではない。

 また、1990年代までは、ホモ=サピエンスの定義が広くとらており、ネアンデルタール人も含められていた。そのため、ネアンデルタール人をホモ=サピエンス=ネアンデルターレンシスと言い、現生人類と同じ化石人類であるクロマニヨン人はホモ=サピエンス=サピエンスと言う、などと説明されていた。また教科書などではネアンデルタール人が旧人段階でクロマニヨン人からが新人であるとされていた。
 ところが、2000年代に入って分子生物学の化石人類への応用研究が進んだ結果、両者はホモ属には属するが別な種であることが判明したので、現在ではネアンデルタール人をホモ=サピエンスとは言わない。「種」の名称は、「ホモ=ネアンデルターレンシス」と「ホモ=サピエンス」として区別している。便宜上、「ネアンデルタール人」という用語は使うが、ホモ=サピエンスではないので、教科書や参考書、用語集の説明には注意を要する。また、ホモ=サピエンス=サピエンスといったおかしな言い方も、現在はしない。

アフリカのイブ

 1987年、アメリカの人類学者が提唱した、現生人類のアフリカ単一起源説は、残された化石人類と現生人類のDNAを比較研究し、現生人類の先祖がアフリカの一女性にいきつくことを明らかにした。この女性は、聖書の人類創出の話に因んでイブと名付けられた。このDNAは母系遺伝だけで伝えられるミトコンドリアDNAのことなので、ミトコンドリア・イブなどともいう。
ホモ=サピエンスの拡散 現在は、現生人類、つまりホモ=サピエンスがアフリカを起源としている(時期については前述のように約20万年説が有力)ことは定説になっている。一般的には、彼らは約10万年前(16万年前とする説もある)にアフリカを旅立って(旅とは言えないかもしれないが)、ユーラシア各地に広がっていった(人類の拡散)。彼らがヨーロッパに入ったのは、約4万7千年前と思われるが、そのころヨーロッパにはネアンデルタール人がすでに生活していた。その後も両人種は共存していたが、ホモ=サピエンスのヨーロッパへの移住が何波かに分かれて続くうちにネアンデルタール人は次第に減少していった。
ネアンデルタール人との共存 4万7千年前ぐらいからホモ=サピエンスは急速な勢いでバルカン半島を北上、ヨーロッパ大陸に侵入した。しかし、ネアンデルタール人の文化(ムステリアン文化)はなおも存続し、両種は共存していた。しかし、約4万3千前にさらに多くのホモ=サピエンスがヨーロッパに進出すると、ネアンデルタール人は減少、集団は分散・孤立し、約4万年前に絶滅した。
 かつてはネアンデルタール人とホモ=サピエンスの併存期間は1万年以上にわたると考えられていたが、現在では約7000年ほどのみじかい間だったと修正されている。「しばらく共存したというよりは、すみやかに交替したと言った方がよさそう」である。<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書 p.208>

参考 ホモ=サピエンスは何故生き残ったか

 ネアンデルタール人とホモ=サピエンスが交替した理由は様々考えられている。更科氏の近著『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』を要約する。
  • ネアンデルタール人はホモ=サピエンスに殺されたとする説 フランスの遺跡で石器による傷が付いたネアンデルタール人の子どもの骨と、ホモ=サピエンスの顎の骨が一緒に出土し、ネアンデルタール人は殺されてホモ=サピエンスに食われたとされている。しかしこのような例は少なく、大規模に両者が争った形跡はない。
  • ホモ=サピエンスの方が子沢山だったとする説 他の条件が全く同じなら、たとえほんのわずかでも出生率の高い種が生き残り、低い種は絶滅している。
  • ホモ=サピエンスの方がネアンデルタール人より頭がよかったという説 最も人気がある。狩猟技術ではネアンデルタール人も優れており槍や組合せ石器を使った。しかしホモ=サピエンスは投槍器を使い、危険な動物も倒せた。この技術の差はホモ=サピエンスが石刃技法を開発した石器にも見られる。
  • ネアンデルタール人は燃費が悪かったとする説 ネアンデルタール人は脳容積は約1550ccで、ホモ=サピエンスの約1450cc、現代人の約1350ccよりも大きかった。(脳容積が大きいほど進化していると言うことではない!)この大きな脳と、頑丈な体格を維持するにはかなりのエネルギーが必要だった。それが気象の悪化などに対応できなかった理由と考えられる。
  • 気象の変化 約4万8千年前の寒冷化でネアンデルタール人が人口を減少させたところにホモ=サピエンスが進出してきた。その後も温暖化と寒冷化の波があったが、その中でホモ=サピエンスはさらに行動範囲を広げた。ネアンデルタール人は行動範囲が狭まり、孤立・分散化(鎖国化)し、技術の進歩も止まった。
(引用)おそらくネアンデルタール人は、寒さとホモ=サピエンスのために絶滅した。ホモ=サピエンスの、動き回るのが得意な細い体と、寒さに対する工夫と、優れた狩猟技術は、ネアンデルタール人にないものだった。ただ、忘れてはならないことはいつも私たちがネアンデルタール人を圧倒していたとは限らないことだ。<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書 p.219>
 更科氏は、大相撲で言えば15日間全勝を続けたわけではなく8勝7敗を続けながらでも番付が上がる例をあげている。横綱にはなれそうもないが、関脇ぐらいにはなれそうです。