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カウンター・カルチャー

1960年代後半、アメリカの若者に広がった、既成文化に対するする反発から産まれた文化的な傾向。70年代にかけて世界中に拡がり、多くの若者の支持を受けた。

 1960年代の後半、アメリカの若者の間で、ベトナム戦争に対する批判、拒否運動が広がった。このベトナム反戦運動は、アメリカ中流社会の既成の文化に対する反発に結びつき、ロックやフォークなどの新しい音楽、ドラッグなどを肯定する文学、『アメリカン・ニュー・シネマ』といわれた「イージーライダー」や「真夜中のカウボーイ」などの映画、絵画や写真などあらゆる文化に及んだ。およそ長髪に奇抜な服装というヒッピーと言われた若者がその担い手だった。カウンター・カルチャーは、豊かな生活と安定というアメリカ中流社会の価値観を物質主義と批判し、そこから離脱して、精神的な自由と満足を得ようとしたものであり、インド仏教や日本の禅などにあこがれる傾向があった。

ベトナム戦争とカウンター・カルチャー

 カウンター・カルチャーのムーブメントのピークは1969年8月に行われたウッドストックのロックコンサートに30万以上のヒッピーが集まったときであろう。この年、アメリカではアポロ11号の月面着陸という輝かしいニュースがあったが、一方ベトナム戦争は泥沼化し、兵士となってベトナムに送られた多くの若者が命を落としたり傷ついたりした。戦場から戻った若者の中には精神を病む者も続出した。そのような中で若者のエネルギーを解き放つようにして行われたウッドストック・フェスティバルは、大成功となり、伝説的なロック・イベントとなった。この古い価値観を吹き飛ばすような文化の爆発が、当時カウンター・カルチャーといわれたのだった。同時にアメリカの保守層に言い知れぬ危機感がひろがったのも事実であった。
 1990年代にはこのような価値観の破壊に対する反動として、アメリカの保守化が明らかになってきた。人工中絶や同性愛を否定し、進化論も否定して聖書教育を公教育でも実施せよと主張する右派の台頭が、ブッシュ大統領などの共和党政権を出現させたと言われている。

Episode 伝説のウッドストック

 ウッドストック=フェスティバルは1969年8月15日から3日間、ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開催された。ウッドストックというのはここのことではなく、同じくニューヨーク州アルスター郡にある町でボブ=ディランなどの芸術家が多く住んでいて、そこにレコーディングスタジオを建てる資金を集めるコンサートとして計画されたものだった。会場探し苦労し、ようやくベセルの町の牧場を借りることが出来、そこで野外コンサートが開催された。3日間のうちには突然の雷雨や停電のアクシデントがあったものの、全米から詰めかけた聴衆で溢れ、町を挙げての大騒ぎとなり、全米、全世界に大きなニュースとして伝えられた。
 出演者はジョーン=バエズ、サンタナ、ジャニス=ジョプリン、ザ=フー、CCR、BST、CSN、ジミ=ヘンドリックスなどなど挙げるのにきりが無いほど豪華で、30万とも40万ともいわれる聴衆―といってもほとんどはヒッピー―が小さな町の郊外の牧場につめかけ、泥まみれになって驚喜した。まだベトナム戦争のさなか、帰還兵、反戦運動家や環境保護団体の他にマリファナや同性愛者など、雑多な連中であったので、保守的な住民は仰天した。しかし、素朴な生活を送っていた町の若者には目の覚めるようなショックだった。この町の若者だけでなく、世界中の若者にそのショックが伝わっていった。
 フェスティバルの主な出演者の演奏と会場の熱気は『ウッドストック、愛と平和と音楽の3日間』の映像に収められているが、2009年の映画『ウッドストックがやってくる』はフェスティバルを受け入れることになった町の若者から大人たちまでが、何を感じ取ったか、そのドタバタ劇を通じて60年代のアメリカの断面を描いている。演奏シーンはないが、フェスティバルを裏側からみるようで面白い映画になっている。