詳説世界史 準拠ノート(最新版)
第6章 内陸アジア世界・東アジア世界の展開
1節 トルコ化とイスラーム化の進展
■ポイント 中央アジアにおけるトルコ系民族の突厥・ウイグル、イラン系民族のソグド人の活動を知る。
- 中央アジアのオアシス都市を結ぶa オアシスの道 には、b インド=イラン系 が多かった。
- c トルコ系民族 前1世紀頃、匈奴の衰退に替わり、モンゴル高原で自立したd 遊牧騎馬民族 。
解説
トルコ民族はアルタイ語に属する民族で、もともとは内陸アジアの広大な草原で騎馬遊牧民として多くの部族を構成していた。世界史上、彼らは活発な民族移動を繰り返し、様々なトルコ系民族が興亡した。現在の小アジアにあるトルコ共和国は、民族的にはその後継者であるが、かつてトルコ民族が活動していた地域から遠く離れて建国している注意すること。突厥以前には、中国の史料に現れる丁零、高車、鉄勒などもトルコ系と考えられている。A突厥 の進出 はじめ、モンゴル高原で、モンゴル系の柔然の支配を受けていた。(3章3節 p.90)
- 553年 柔然を倒してモンゴル高原を制圧。中央アジアに進出し広大なa 遊牧国家 を建設。
- 557年頃 b ササン朝 のホスロー1世に協力し、c エフタル を滅ぼす。(1章1節 p.25)
- 583年 中国のd 隋 に圧迫され、東西に分裂。
西突厥 → 中央アジアのアム川上流地域を支配。
東突厥 → モンゴル高原東部を支配。8世紀にトルコ系民族の最初のe 突厥文字 を使用。(p.91)
解説
突厥はトルコの原音である「テュルク」を漢字に当てたもの。つまりトルコ人である。突厥は教科書のササン朝(第1章)、隋・唐(第3章)でも出てくるが、ほとんど説明がないのでイメージを作るのが難しいが、6~7世紀にユーラシア内陸部に広大な遊牧帝国を建設した、世界史上の重要な民族である。彼らが突厥文字という文字を持ったことも重要。その建国の年の552年は、現在のトルコ共和国の建国年ともされている。
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Bウイグル の進出。- 8世紀 モンゴル高原から中央アジアのオアシス地帯に進出。
→ イラン系民族で、交易に従事していたa ソグド人 の協力を得て、広大な遊牧国家を建設。 - 755~763年 b 安史の乱 では唐を助ける。(3章3節 p.93)
解説
ウイグル人もトルコ系の重要な民族。中国史料では「回紇」として出てきて、唐と関係が深く、特に安史の乱においては唐軍を助け、安禄山の反乱軍と戦ったことがよく知られている。文化的にはマニ教の信仰とウイグル文字が重要で、いずれもソグド人から学んだことである。また9世紀にキルギスに圧迫されて分裂、四散したことが、遊牧生活を送っていたトルコ民族が中央アジアに定住し、先住のイラン系民族もトルコ化し、その地がトルキスタンと云われるようになる契機となった。なお、彼らは後にイスラーム化し、子孫は現在も中国の新疆ウイグル自治区に多数住んでおり、漢民族とまったく違った伝統を維持している。中国からの独立の要求も強く、時として暴動やテロ事件が起きているので目を離せない。
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Text p.154
Cソグド人 の活動 中央アジアで以前から活動していたa イラン系民族 。- b ブハラ やc サマルカンド を拠点に、さかんにd 商業活動 を行う。
→ その拠点のアム川上流地方を▲e ソグディアナ という。(地図参照) - 突厥、ウイグルの遊牧国家の領内に植民して集落を作り、さらに隋・唐にも進出しf 中継貿易 に従事。
→ g ソグド商人 によって、ユーラシア大陸の東西を結ぶh 交易ネットワーク が構築された。 - 中国の生糸や絹を西方にもたらす。 → オアシスの道はi 絹の道(シルクロード) と呼ばれる。(3章1節)
- j マニ教 、k 仏教 、l キリスト教 、m ゾロアスター教 が東方に伝わった。
- ソグド人が使用したアラム系文字のソグド文字がウイグル人に伝わりn ウイグル文字 が作られる。
→ さらに東方に伝えられ、o モンゴル文字 、p 満州文字 などの原型となった。
解説
ソグド人はイラン系であることに注意。トルコ人より早く、内陸アジアのオアシス地帯で交易に活躍した。突厥、ウイグルのもとでも商業活動を続け、中国まで進出、唐では「胡人」と云われ、マニ教やゾロアスター教を伝えた。唐の宮廷に仕えるものも多く、安史の乱を起こした節度使の安禄山はソグド人だったと云われている。
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D トルコ系民族の西方への移動- 840年 ウイグルはa キルギス人 (同じトルコ系民族)の攻撃を受け、東西に分裂。
東ウイグル パミール高原の東、唐の西部辺境(西域)のタリム盆地に移動して定住。
西ウイグル パミール高原の西、ソグディアナの地に移動し定住。 - さらに圧迫された別のトルコ系民族が西方への移動を開始した。
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イ.トルキスタンの成立
■ポイント トルキスタンという地名の意味と、その地域の特性を理解する。
Aトルキスタン の成立Text p.156
- 9世紀 a ウイグル 国家の崩壊 → トルコ系のウイグル人がパミール高原の東西に広がる。
→ オアシス地帯に定住し、先住のイラン系民族と同化が進む。 → b 中央アジアのトルコ化 が進む。 - トルコ化 = c トルコ系民族の定住化にともないイラン系民族がトルコ語を使用するようになったこと。
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B 東西のトルキスタン- パミール高原の東西がA アトルキスタン といわれるようになる。(ペルシア語で「トルコ人の地域」の意味)
- a 西トルキスタン かつてのソグディアナ。現在のウズベキスタン、タジキスタン。
ソグド人が多く、イラン起源のb ゾロアスター教 が信仰されていた。 - c 東トルキスタン タリム盆地のオアシス地帯。現在の中国の▲d 新疆ウイグル自治区 。
ウイグル人を中心にe マニ教 、f 仏教 の信仰が盛んになる。 - ウイグル人はソグド商人に替わり、内陸アジアの国際交易に活躍した。(モンゴル帝国の成立する13世紀まで)
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ウ.トルコ人のイスラーム化
■ポイント トルコ系民族がイスラーム教を信仰するようになった経緯と意義を知る。
Aタラス河畔の戦い 751年
- 8世紀初め以降、アラブのイスラーム教徒の勢力がトルキスタン南西部に進出。
→ アム川の向こう岸をマーワラーアンナフルと呼ぶ。ムスリム軍とトルコ系遊牧騎馬軍の衝突続く。 - 751年 タラス川の河畔でa アッバース朝 のムスリム軍がb 唐 の軍隊を破る。
→ c 西トルキスタン地方のイスラーム化が始まった。 - 9世紀 ムスリム商人の活動活発になりアラル海方面に進出したトルコ人と接触。
→ d トルコ人のイスラーム化が進む。
解説
イラン高原から北上したアラブ人はアム川以北の肥沃な地を「マーワラーアンナフル(川の向日の地の意味)」と呼んであこがれていた。また唐は西域支配を拡張し、西トルキスタン進出を狙った。結果としてアッバース朝の勝利は、イスラーム教が中央アジアに広がること唐の衰退の始まりにつながった。この戦争で、唐からイスラーム世界に製紙法が伝えられたことはすでに学んだ。
ブハラのサーマーン廟
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Bサーマーン朝 875年 イスマイール=サーマーンが建国。
- 都はa ブハラ 。b イラン系 の最初のイスラーム国家。
→ アッバース朝から西トルキスタンの支配を認められる。 - 都a ブハラ にイラン=イスラーム文化が成立。(4章4節)
イスラーム医学を大成させたc イブン=シーナー が活躍。(p.118) - トルコ人のイスラーム教への改宗も進む。
- トルコ人を軍人奴隷とするd マムルーク が始まる。(4章2節 p.106)
解説
サーマーン朝はイラン系の地主であったイスマイール=サーマーンがアム川以北のマーワラーアンナフルで初めてイスラームに改宗し、アッバース朝カリフからその地方の支配権を認められた地方政権。その都ブハラは古来イラン系のソグド人の商業活動で栄えたところで、シルクロードの重要な中継地でもあった。
写真はイスマイール=サーマーンの廟。ブハラ近郊で近年に発掘されたもので、約9m四方の四角い建物の上にドームを持つこの建築は、日干し煉瓦だけで築かれ、中央アジアにおける最初のイスラーム建築として貴重である。
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Text p.157
Cカラハン朝 10世紀半ば ~ 12世紀半ば
- 999年 サーマーン朝を滅ぼし、a トルコ系 の最初のイスラーム国家として成立。
→ b 東西トルキスタン を併せて支配。 - トルキスタンのトルコ人のイスラーム化がさらに進む。
→ 中央アジアのイスラーム化が決定的となる。 - 1077年 中央アジア出身のc カシュガーリー 、『トルコ語辞典』をバグダードで完成させる。
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D トルコ人の西方移住が進む
- イスラーム化した中央アジアのトルコ系民族は、その後も西方移住を続けた。
- 11世紀 a セルジューク朝 西アジアに進出。1055年 バグダードに入城しブワイフ朝を倒す。(4章2節)
→ さらに小アジアに進出し、ビザンツ帝国を圧迫。 → キリスト教側のb 十字軍運動 を誘発。(5章3節)
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・13世紀末 c オスマン帝国 小アジアに起こったトルコ系国家。15~19世紀に大国として繁栄。(後出)
※トルコ共和国は、現在は小アジアの一国名であるがトルコ系民族は中央アジアで広く活動していたことに注意