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詳説世界史 準拠ノート(最新版)

第8章 近世ヨーロッパ世界の形成

1節 ヨーロッパ世界の拡大

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Text p.201

ア.大航海時代

■ポイント ポルトガルによる新航路の開拓の経緯とその地理的内容、歴史的意義を正確に抑える。

大航海時代  15世紀末から16世紀 ヨーロッパ人の海外進出が展開される。
  • 背景:十字軍以来、アジアへの関心が高まる。a マルコ=ポーロ  のb 『世界の記述』  などに刺激された。
       c 遠洋航海術  の発達。羅針盤の改良・快速帆船の普及・緯度航法など。
       d 香辛料  の需要の増大。ヨーロッパでの肉食の普及により莫大な富をもたらす。

    Text p.202

       e レコンキスタ  の進行。イベリア諸国でのキリスト教の布教熱の高まり。
  • ▲直接的要因:15世紀 f オスマン帝国  の地中海東岸制圧による東方貿易ルート遮断。
     → g ムスリム商人  を介さず直接にh 香辛料貿易  を行い利益を上げようとした。
ポルトガル   15世紀 君主権を確立。商人層によるアフリカ西岸の探検開始。
エンリケ記念碑

リスボンの大航海時代モニュメント

  • 「航海王子」a エンリケ  がアフリカ西岸探検事業を推進。
     ▲1415年 ジブラルタル海峡アフリカ側の港b セウタ  を攻略。
     ▲1432年ごろ 大西洋上のc アゾレス諸島  を領土にする。
     ▲1445年 アフリカ西端のd ヴェルデ岬  に到達。
  • ▲15世紀後半 国王アフリカ西岸でのe 奴隷貿易  始める。

解説

 ポルトガルの航海熱は初めからアジアとの香料貿易にあったのではない。エンリケやジョアン2世は、公式にはアフリカの内陸に存在するキリスト教の王プレスタージョンを探すことにあった。同時にアフリカ西岸の黄金、象牙、そして奴隷を獲得するためであった。特に黒人奴隷貿易がすでにポルトガルによって始まっていることに注意しよう。アフリカ西岸を南下するうちに喜望峰に到達し、インドへの直接航路開拓の望みが生まれ、香料貿易が新たな目的となった。

インド航路の開拓  

  • 15世紀末 国王a ジョアン2世  が国営事業として推進した。
  • 1488年 b バルトロメウ=ディアス  、c 喜望峰  に到達。
  • 1498年 d ヴァスコ=ダ=ガマ  、インド西岸のe カリカット  に到着。
     →  ムスリムの水先案内人▲f イブン=マージド  の手引きでアラビア海を横断。
  • 解説

     ヴァスコ=ダ=ガマ船団はアフリカ東岸のマリンディでイスラーム教徒の水先案内人イブン=マージドを雇い、その力でインド洋を横断できた。インド洋はすでにムスリム商人のダウ船が行き来する交易圏が成立し、マムルーク朝が支配していた。ポルトガルはそこに割り込む形となり、1509年にはディウ沖の海戦でマムルーク海軍を破り、制海権を獲得した。なお、ヴァスコ=ダ=ガマが到達したカリカットはヴィジャヤナガル王国の支配の藩王が下にあり、北インドはデリー=スルタン朝のロディ朝が支配、ムガル帝国はまだ成立していない。
  • 香辛料の直接取引 → ポルトガル王室に莫大な利益をもたらし、首都g リスボン  、世界商業の中心となる。
  • 16世紀、ポルトガル、h ムスリム商人  と競合しながらインド洋貿易に進出。香辛料貿易で利益を上げる。
  • 1510年 ポルトガル、i ゴア  を占領。 → 1511年 j マラッカ  占領(7章4節)

解説

 ポルトガルのインドにおける香料貿易は、平和的な交易だけではなく、武力による侵略行為であった。ヴァスコ=ダ=ガマは1502年の第2回遠征ではカリカットを砲撃し、コーチンに砦を築いた。さらにポルトガルは1509年のディウ沖の海戦でマムルーク海軍をインド洋から排除し、1510年には軍隊を派遣してゴアを占領している。そして翌年はマラッカに進出し、1517年には早くも中国の広州に姿を現している。
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用語リストへ イ.アメリカ大陸の征服

■ポイント ヨーロッパ人のアメリカ新大陸発見の経緯と、その征服の過程、世界史的な影響をおさえる。

スペイン   女王a イサベル  、ポルトガルに対抗し、西回りでアジア進出を図る。
コロンブスの上陸

 コロンブス の上陸 17世紀の絵

  •  コロンブス   ジェノヴァ生まれの船乗り。
    • Text p.203

    • 女王の命令で、大西洋を西に向かいインドをめざす。
    • フィレンツェの天文学者c トスカネリ  の世界球体説を信じる。
    •  1492  年 e サンサルバドル島  に到達。
        = 現在の西インド諸島の一部、バハマ諸島にあたる。
    • 同年、グラナダが陥落。f レコンキスタ  が完了。
  • 前後4回航海し、一時は大陸に上陸、インドの一部と考える。
     → この地をg インディアス  、住民をh インディオ  と呼んだ。

解説

15世紀ヨーロッパでは現在のインドより東のアジア全体を「インディアス」と呼んだ。コロンブスが目指した「インド」とは、現在のインドではなく、このインディアスのこと。しかし情報はマルコ=ポーロの『世界の記述』ぐらいしかなく、インディアスの地形は未知であった。トスカネリは古代のプトレマイオスの世界地図のインディアスをさらに東方に拡がっていると推測し、西廻りで航海すれば東端のジパング(日本)に到達できると説き、コロンブスがそれを信じて実行した。
 トルデシリャス条約   ポルトガルとスペインによる世界分割協定。
  • 1493年 a 教皇子午線  :ローマ教皇▲b アレクサンデル6世  が設定。
     → ポルトガルが異議申し立て。両国が再度交渉。分界線を西に移動させる。
  • 解説

     1453年の教皇子午線はヴェルデ諸島から西に100レグラ(約550km)の子午線とされ、そこから東をポルトガル、西をスペインの領土とすると定めた。教皇アレクサンドル6世はスペイン出身であったので、スペインに有利な裁定であった。ポルトガルのジョアン2世はそれに不満であり、今度は直接交渉に持ち込み、1494年にトルデシリャス条約を締結、分界線を教皇子午線より西へ370レグラ西に移動させた。それは西経46度37分にあたり、南米大陸のブラジルに懸かっていた。当時はブラジルの存在は確認されていなかったが、1500年にポルトガルのカブラルが到着して、ポルトガル領でアルであることが確定した。その後、18世紀にブラジル内陸部で金鉱が発見され、ポルトガル人は分界線を越えて西に進み、事実上領土を拡張し、1750年に事実上トルデシリャス条約は無効とされ、現在のブラジル全域がポルトガル領であることが確定した。
  • 1494年 B トルデシリャス条約  :東をc ポルトガル  、西をd スペイン  の支配地とする。
     → 後に、新大陸のe ブラジル  はポルトガル領、その他はスペイン領となる。
 アメリカ大陸   への進出。
  • 1497年 ▲a カボット  (イタリア人)イギリス王ヘンリ7世の援助で北米探検。
  • 1499~52年 b アメリゴ=ヴェスプッチ  (イタリア人) 南アメリカを探検、新大陸であることを確認。

    解説

     アメリゴ=ヴェスプッチはフィレンツェの人。スペインとポルトガルの王室に招かれ、1799~1502年の間に数度にわたって大西洋を横断し、海岸を広範囲に探検して、この地はアジアの一部ではない「新世界」であると主張した。1507年にヴァルトゼーミュラーが作成した新しい世界地図で、その地は「アメリカ」(アメリゴの女性形)と表記された。ヴェスプッチの航海には資料的に不審な点があるが、南米を探検したことは事実とされている。ただし、コロンブスも第2回航海で1497年にパナマ地峡に到達している(彼自身はあくまでアジアの一部、インディアスだと主張した)ので、ヴェスプッチが大陸への最初の到達者ではない。
     → 1507年 ドイツの地理学者が新大陸をc アメリカ大陸  と命名。
  • 1500年 d カブラル  (ポルトガル人) ブラジルに到達 ポルトガル領とする。
  • マゼラン

     マゼラン 

  • 1513年 ▲e バルボア  (スペイン) パナマ地峡横断 太平洋岸に到達。
 世界周航   a マゼラン   ポルトガル人。マガリャンイスとも表記する。

Text p.204

  • 1519年 スペインのb カルロス1世  の命令で船団を編成。
    → 西回りで出航、c 香料諸島  をめざす。
    → 南米大陸の南端d マゼラン海峡  を抜け、e 太平洋  を横断。
  • 1521年 f フィリピン  のセブ島に到達、首長ラプラプと戦い、殺される。
    → 部下が船団を率い、g モルッカ諸島  に到達。
  • 1522年9月 船団がスペイン帰着、地球球体説が証明される。
  • 1529年 ▲h サラゴサ条約  :アジア側のスペイン、ポルトガルの勢力圏分割。
     モルッカ諸島  はポルトガル領となる。
アタウアルパの処刑

 インカ  王を殺害

スペインによる新大陸征服  
  • 資源を求めて、a 征服者(コンキスタドール)  たちを新大陸に派遣。
  • 1521年 b コルテス  がメキシコに侵入し、c アステカ王国  を滅ぼす。
     → インディオの反アステカ勢力を利用して都d テノチティトラン  を征服した。
     ▲ユカタン半島ではe マヤ文明  の系統の国々が17世紀まで存続した。
  • 1533年 f ピサロ  がペルーに侵入しg インカ帝国  に遠征。
     → h 火砲と騎兵  の威力により征服。i クスコ  を略奪し、首都リマを建設。
・j ラテンアメリカ  の成立 = メキシコ以南のスペイン・ポルトガル支配地域。

  大航海時代要図
大航海時代 大航海時代

 リスボン      b パロス       c セウタ       d アゾレス諸島  
 ヴェルデ岬     f 喜望峰       g カリカット     h ゴア       
 サンサルバドル島   j マゼラン海峡     k フィリピン      l モルッカ諸島   
m テノチティトラン   n クスコ        o ポトシ銀山     
 ディアス    (1487~88)   B コロンブス   (第1回 1492~93)  C カボット   (1497,98)
 ヴァスコ=ダ=ガマ   (1497~99)  E アメリゴ=ヴェスプッチ  (1499~1500、1502) 
 カブラル   (1500)   G マゼラン   (とその船団)(1519~22)  
 トルデシリャス条約 による東西分界線(1494)

インディオの人口減少    スペインによるa エンコミエンダ制  の導入。 1508年頃から始まる。
  •  インディオへのキリスト教の布教を条件に、農園経営をスペイン人入植者に委託する方式。  
    → インディオには一定の保護が加えられたが、実態は強制労働に変わらなかった。
  • その影響  c エンコミエンダ制の農園での労働力として酷使したため、インディオ人口が激減した 。  
  • 聖職者d ラス=カサス  による批判。『インディアスの破壊についての簡潔な報告』

    解説

    ラス=カサス

    ラス=カサス(1845-1566)はスペイン人、1503年にエスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ)に渡り、エンコミエンダ経営にあたったが、現地でのスペイン人征服者や入植者のインディオに対する残虐な行為を目の当たりにして衝撃を受け、ドミニコ派の宣教師となり、帰国して当時のカルロス1世にエンコミエンダの廃止とインディオを人間として扱うことを訴えた。彼の訴えは本国でも反響が大きかったが、現地の入植者の反対によって彼の要求は実現しなかった。彼の著書『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』には、エスパニョーラ島を初めとする西インド諸島・新大陸のインディオが奴隷にされたり、反乱を起こして殺されたりしたことによって激減したことを告発している。なお、彼はインディオに代わる労働力としてアフリカ黒人を連れてくることを提唱した。


    → 国王カルロス1世・皇太子フェリペに告発。
・インディオの抵抗 1570年代まで続く。
 インディオの減少に代わる労働力としてアフリカからのe 黒人奴隷  がもたらされるようになる。
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用語リストへ ウ.商業革命と価格革命 
■ポイント 大航海時代の到来による「世界の一体化」が、どのような意義と影響をもっていたか理解する。
1.商業革命   大航海時代の始まりに伴い、ヨーロッパの商業のあり方が大きく変化した。
  •  商業の取引範囲が世界的に広がり、商品の種類・取引額が増大した。   
  •  遠隔地貿易の中心が地中海沿岸から大西洋沿岸に移動した。       
      → 従来の北イタリア諸都市のc 東方貿易  は衰退。
  • 世界商業圏の形成は広大な海外市場を開き、ヨーロッパのd 資本主義的世界経済の発達   をうながした。

Text p.205

2.価格革命  
ポトシ銀山

 ポトシ銀山 

  • 1545年 a ポトシ銀山  発見される。現在のボリビア。スペインが独占。
    → ラテンアメリカのb 銀  が▲c アントウェルペン  (スペイン領)
    を経て大量にヨーロッパに流入。
  •  新大陸産の銀の大量流入によりヨーロッパの物価が急上昇した 。   
  • 銀の大量流通に伴う金融システムの発達も価格変動に影響を与えた。
  • 物価騰貴の影響
      =e 固定地代の収入に依存していた封建領主が没落した。      
  • アジアへの影響
    =f メキシコ銀   と言われたラテンアメリカ産の銀の生産が増大。
     → ガレオン貿易(前出)により、フィリピンのマニラを経て中国(明)にもたらされる。
     → 明代の銀の流通(7章1節)
3.ヨーロッパ東西での分業体制
  •  西ヨーロッパ地域  :商工業が発達し経済的先進地域となる。 → 大都市の出現、人口の増加。 → 食糧不足。
     → 封建領主の没落、農奴の解放が進み、都市市民層の形成が進む。
  •  東ヨーロッパ地域  (エルベ川以東):輸出用の穀物生産が増加し、農業地帯の性格が強まる。
     → 領主が輸出用穀物を生産する直営地経営=c 農場領主制(グーツヘルシャフト)  がひろがる。
     → d 農奴  への支配がかえって強化された。
       このような東ヨーロッパにおける農奴制の強化をe 再版農奴制  という。
  • 解説

     1970年代のアメリカの歴史学者・社会学者ウォーラーステインは、「中核」=北西ヨーロッパ、「辺境」=東欧・新大陸、「半辺境」=南欧 からなる16世紀の分業的世界構造を「近代世界システム」ととらえ、「資本主義的世界経済の形成」と論じた。

      ┌ 中核:西欧地域では賃金労働による商工業と自営農民(ヨーマン)による農業経営
      │
      │    ┌ 東欧では農場領主制と再版農奴制による輸出用穀物栽培
      ├ 辺境:┤
      │    └ 新大陸ではエンコミエンダ制(先住民に対する強制労働)による商品作物栽培
      │
      └ 半辺境:南ヨーロッパ地中海地域では分益小作制による農業

  • 新大陸からもたらされた農作物:
     f トウモロコシ  、g ジャガイモ  、h サツマイモ  、i トマト  など。(p.75,175参照)
     → 特にg ジャガイモ  はヨーロッパの新たな主食として、東ヨーロッパを中心に広く栽培される。

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