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ナイル川

アフリカの中心部を源流とし、北流してエジプトを貫流し、地中海に注ぐ大河。古代エジプト文明を生み出し、現在のエジプトを支えている。

 ナイル川は世界最長の川。全長6690km。ヴィクトリア湖から流れる白ナイルとエチオピア高原から流れる青ナイルがスーダンのハルツーム付近で合流し、砂漠地帯を北流してエジプトを流れ、下流に大三角州(デルタ)を作って地中海に注ぐ。ほぼ現在のカイロを起点として、そこから北(ナイル川下流、大三角州地帯)を下(しも)エジプト、南のアスワンまでを上(かみ)エジプトといって区別している。
 古代ギリシアのヘロドトスがその著『歴史』において、「エジプトはナイルのたまもの」と言っているとおり、ナイル川の定期的な氾濫によって形成された肥沃な土壌がエジプト文明を形成した。また人々はナイルの水を利用した潅漑農業を発展させた。

「エジプトはナイルのたまもの」

 古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの『歴史』に見える言葉。ナイル川は、上流のエチオピア高原の雨期である8月~9月に流れ込んだ雨水を集め、9月中旬から10月上旬にかけて中流から下流が増水し、自然堤防を超え、両岸にあふれ出し、1ヶ月間とどまり、その後ふたたび渇水期に入る。この洪水により、カリウム、リン、有機質に富んだ肥沃な土壌が毎年供給されることになる。エジプトはほとんど降雨がないが、このナイルの洪水によって農作物(主として麦類)を育てることができた。
 実際のところ、ヘロドトスは『歴史』の中のどんな文脈でナイル川のことに触れたのだろうか。『歴史』第2巻ではエジプトの文明が早くから開けていたことを述べた後、こう言っている。
(引用)“また彼ら(エジプト人)の語るところでは、エジプト初代の人間王はミンであったという。この王の時代には、テバイ州を除いてはエジプト全土が一面の沼沢地で、現在モイリス湖()の下方(北方)に当たる地域一帯は、今日海からナイル川を遡航して七日間を要する距離にわたっているが、当時は全く水面下に沈んでいたという。エジプトの国土に関する彼らの話はもっともであると私には思われた。というのは、いやしくも物の解る者ならば、たとえ予備知識をもたずとも一見すれば明らかなことであるが、今日ギリシア人が通航しているエジプトの地域(訳者注、ナイル川のデルタ地域)は、いわば(ナイル)河の賜物というべきもので、エジプト人にとっては新しく獲得した土地なのである。”<ヘロドトス『歴史』上 岩波文庫 p.164  松平千秋訳>
 なお、同書の久保氏の訳注によれば、「エジプトはナイルの賜物」という句は古来有名であるが、これはヘロドトスの先輩であるヘカタイオスがすでにそのエジプト史に使用した句であるという。とすれば、この言葉は、「ヘロドトスの言葉」なのではなく、「ヘロドトスが引用した言葉」という方が正しいことになる。

ナイル川と暦法

 ナイル川はスーダン以北が緩やかな勾配で距離が長いので、上流のエチオピア高原の降水量は平均化されてしまい、中・下流の増水量は毎年ほぼ同じ時期に、同じ水位で変化する。全天中もっとも明るい恒星であるおおいぬ座のアルファ星シリウスをエジプトでは「ソティス」といっていたが、春から夏にかけて約70日間姿を消し、再び日の出直前に東天に姿を表す。その「ソティスの朝出」がナイルの増水の開始を告げるものであり、次の年の朝出までが365日あった。そこでエジプト人は365日を1ヶ月30日、1年を12ヶ月とし、年末に閏日5日を加える暦を考案した。12ヶ月は4ヶ月ずつ増水季(アケト)・冬季(ペレト)・乾季(シュムウ)の三季に分けられ、作物である麦の生育サイクルにあわせ、増水季は農閑期、冬季は播種期(種まき)、乾季は収穫期に対応した。<屋形禎亮『人類の起源と古代オリエント』世界の歴史1 1998 中央公論社 p.378> → エジプトの太陽暦

ナイル川の潅漑法

 増水が最高水位に達すると水路を通して畑に導きそのまま水門を閉じ、水深1メートルほどの溜池(ベイスン)にして40~60日放置する。この間肥えた土は畑に積もり、土壌中の塩分は暖められた水とともに貯留水に溶け込む。本流の水位が下がったら水門を開け一気に排水すれば後には地力を更新した畑が残され、土壌の塩化も避けることができる。これがナイル川の定期的増水を利用した、ベイスン・イリゲイション(貯留式潅漑あるいは湛水潅漑)であり、ナイル川を特徴付ける潅漑法である。恵みの河ナイルを、古代エジプト人はハピとよんで神格化し、増水の開始を祝う祭りが各地で行われ、神の恵みに感謝する「ナイル讃歌」が誦された。<屋形禎亮『同上書』 p.379-380> → 潅漑農業

エジプト文明の形成

 ナイル川流域には前5000年ごろ、メソポタミアから農耕・牧畜を伴う新石器文化がもたらされ、定期的増水に適合した潅漑技術が急速に発達し、流域にいくつかのノモスという都市国家が生まれた。青銅器を使用し、独自の象形文字を使用するエジプト文明を形成し、国家の統合も進んで前3000年ごろにはノモスを統合するエジプト王国を出現させた。
 ナイル川流域はメソポタミアと異なり、比較的外界から閉ざされていたので、異文化・異民族の侵入はすくなく、安定的に国家形成が続き、前1世紀ごろまで31の王朝が交代、その間を古王国・中王国・新王国及び、それぞれの中間期にわけている。特に古王国の時代には巨大なピラミッドを造営し、ヒエログリフが発達し、高度な金属加工技術が進歩するなど、高度な古代文明を生みだした。周辺との交流は少なかったが、それでもエジプト王国はたびたびメソポタミア方面まで力を伸ばし、またヒクソスやアッシリア、ペルシアなどの異文化の支配も受けているが、古代エジプト文明は前1世紀終わりごろにローマに征服されるまで、独自の文化を維持した。
 現在、ナイル川流域は、中・上流にアスワン=ハイダムなどの大規模な灌漑用ダムが建設され、古代遺跡のいくつかが水没することとなったので、移設されるなどの保存措置がとられた。 → 第1章 1節 古代のエジプト エジプト文明
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ノートの参照
序章 イ.文化から文明へ
第1章1節 エ.エジプトの統一国家
書籍案内

ヘロドトス/松平千秋訳
『歴史』上 岩波文庫

屋形禎亮他
『人類の起源と古代オリエント』
世界の歴史1
1998 中央公論社