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カイロ

10世紀の後半、ファーティマ朝が建設した都。アイユーブ朝、マムルーク朝でも都とされイスラーム世界の政治、経済の中心都市として繁栄した。オスマン帝国では一時衰えたが、ムハンマド=アリーが独立政権を樹立し、再び重要な都市となり、現在のエジプトの首都とされている。

 アル=カーヒラが本来の呼び名で、「勝利者」の意味。7世紀にアラブ人がエジプトを征服したときはミスル(軍営都市)の一つとしてナイル川の畔にフスタートを建設した。969年、ファーティマ朝第4代カリフのムイッズがその北東に隣接するところに新都アル=カーヒラを建設した。これが現在のカイロの起源となった。972年にはアラブ最古の学院であるアズハル学院がカイロに建設された。カイロが建設されたのは古代エジプト文明ではなく、イスラーム文明の時代においてであったことに注意しよう。

カイロの繁栄

 12世紀後半にファーティマ朝にかわってエジプトを支配したアイユーブ朝サラーフ=アッディーンのもとで繁栄した。ついでマムルーク朝のスルタンが拠点とし、カイロを拠点としたカーリミー商人が13世紀にかけて紅海からインド洋にかけて活躍した。

近代のカイロ

 オスマン帝国時代にはエジプト藩王が置かれた。18世紀末、ナポレオンのエジプト遠征を契機に、アラブ覚醒運動が起きると、エジプト総督となったムハンマド=アリーがオスマン帝国から独立運動を起こし、1805年に実質的にムハンマド=アリー朝が独立した。カイロは現在でもエジプトの首都、イスラーム圏の大都市として重要であり、さまざまな世界史の舞台となっていく。1943年の11月には、連合国軍が日本の無条件降伏にむけての合意作りをしたカイロ会談が開かれた。
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ノートの参照
第5章1節 ウ.イスラーム帝国