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アルサケス/アルサケス朝

パルティア王国(アルサケス朝)の建国者。前3世紀中頃、イラン高原北部にパルティアを建国した。このパルティアをアルサケス朝ということもある。

 イランのパルティアの建国者。それまでセレウコス朝シリアの支配下にあったイラン高原のパルティア地方で、遊牧イラン人を率いて自立し、前247年ごろにパルティアを建国した。アルサケスとは、「英雄」を意味し、イラン語でアルシャクといい、そのギリシア語表記。このパルティア王国をアルサケス朝ということもある。また、アルサケスの音から、パルティアは中国では安息として知られた。

アルサケスは実在した?

 パルティアの建国者であるアルサケスは、その実在が疑われる人物であったが、最近では次のように説明されている。
(引用)アルサケス朝(パルティア)の歴代の王はすべて初代の王の名と同じく、アルサケス(アルシャク)とよばれた。それゆえ、「英雄」という意味のアルシャクという名は、個人名ではなく、王を意味する普通名詞だという考え方もある。そうだとするとアルサケスと始めから行動を共にし、アルサケスの後を継いだとされる弟ティリダテスは、初代のアルサケスと同一人物かもしれない。事実、初代のアルサケスの事績が判然とせず、生死も定かでないのに比べ、ティリダテスの事績は、セレウコス朝との確執を含めて、軍隊の増強、砦の建設、都市の補強、新しい都市ダラの建設など、具体的である。しかしニサで発見された陶片の記録に、ティリダテスの孫にあたる第4代のプリアパティウス王をアルサケスの甥の息子とよんでいるものが発見されたため、やはり初代のアルサケスは実在の人物だったのだろうと現在は言われている。<小川英雄他『世界の歴史4 オリエント世界の発展』1997 中央公論社 p.237-238>

アルシャク朝パルティア

 アルサケスはギリシア語表記であり、そのもとになったペルシャ語ではアルシャク(またはアルシャーク)という。そしてパルティアの国王は彼をその始祖として、その名を家名としたので、アルシャク朝パルティア、とするのが正しい。ただし一般にはギリシア語表記のアルサケスの方が行われている。<青木健『ペルシア帝国』2020 講談社現代新書 p.115>
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小川英雄他『世界の歴史4 オリエント世界の発展』1997 中公文庫