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クテシフォン

パルティア王国の新しい都。ササン朝でも首都となる。

 ティグリス川左岸の都市で、はじめパルティアミトラダテス1世の時、対ローマの前線基地として建設され、前1世紀の中頃オロデス2世の時に首都となった。それ以前にギリシア人がヘカトンピュロスと呼んだパルティアの首都は放棄され、建物は破壊され土中に埋め戻された。また、クテシフォンの重要性が増した結果、それまでメソポタミアの中心都市であったバビロンは衰え、ただの寒村にり、歴史の表舞台から消えることとなった。
 114~117年にはローマ皇帝トラヤヌスの東方遠征が行われ、都クテシフォンもローマ軍に占領されている。
 226年にパルティアを倒して成立したササン朝ペルシアもクテシフォンを首都とした。ササン朝は独自のイラン文化を発展させ、3世紀のシャープール1世の時に西アジア全域にその支配を及ぼした。一時、遊牧民エフタルの侵入を受けて衰えたが、6世紀に力を盛り返し、550年にはホスロー1世は大宮殿を建設した。現在のクテシフォンでホスロー1世の宮殿跡と推定される遺跡には、「ホスローのアーチ」と言われる遺構が残されている。ササン朝ペルシアの都として繁栄したが、7世紀にイスラーム教勢力によって破壊され、現在は遺跡として残るのみである。
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1章1節 キ.パルティアとササン朝