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ラウレイオン銀山

古代アテネの領内にあった銀鉱山。前5~4世紀に奴隷を使役して盛んに採掘され、アテネの経済を支えた。

 古代ギリシアのアテネに属する銀山。アッティカ半島南部にある。豊富なを産出し、アテネの繁栄の基盤でもあり、多くの奴隷によって維持されていた。
 前483/2年にアッティカ半島で豊かな鉱脈を持つ銀山が発見され、ペルシア戦争の最中だったのでテミストクレスがその富をアテネ海軍の軍艦建造に充てることを提案して民会で承認された。その海軍はギリシア海軍の主力となり、サラミスの海戦でペルシア海軍を破ることとなった。またこの銀によってアテネは貨幣を鋳造し、その繁栄の基盤となった。 → 奴隷制度

ラウレイオン銀山の経営

 ラウレイオン銀山はアテネの国有財産であったが直接経営したのではなかった。国家が積極的に経済活動や貿易活動に関与するという考え方はギリシア人には無縁であった。アテネは全体としての輸入の確保には注意を払っていたが、輸入自体は外国人商人を含む商人館の活動に一切を任せていた。
 アテネの経済的繁栄に貢献すること大であったラウレイオン銀山であるが、「採掘は個々の鉱山経営者に委ねられた。彼らは一定の期間、ポリスに賃貸料を払って、特定の鉱区の採掘権を得るのである。」しかし採鉱の権利を認められたのは、一貫してアテネ市民権を有していなければならなかった。
 ラウレイオン銀山では大量の奴隷が使役されていることも注目される。ニキアス(ペロポネソス戦争の最中にスパルタと「ニキアスの和」を結んだがシチリアで刑死した)は千人の鉱山奴隷を所有し、採掘を請け負っていた鉱山経営者に賃貸していたと伝えられる。<伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退』2004 講談社学術文庫 p.205,272,273>
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書籍案内

伊藤貞夫
『古代ギリシアの歴史』
2004 講談社学術文庫