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韓非

諸子百家の法家の思想家。法をもとにした国家統治のあり方を説いた。

 戦国末の法家の思想家。荀子の性悪説と、国家統治論を発展させ、国家を統治するには礼よりも法の力が必要であると説いた。そして魏の李悝(りかい)や、秦の商鞅などの実践家の事績を総合して、統一国家の理論としての法家の思想を大成した。その著作が『韓非子』。韓の公子として、秦に使者となって派遣され、秦王政(後の始皇帝)にもその説を説き、その信頼を受けたが、同じく政に仕える同門の李斯の計略によって捕らえられ、自殺した。
(引用)韓非子は韓の国の王子であったが、生まれつきの吃音で、(諸子百家の)諸思想家のように雄弁によって君主や大臣などを説得することが不可能であった。だから、むしろ著述によって自説を世に広めようとした。かれは荀子の門弟であったが、荀子から儒教思想を受けるとともに、韓国に盛んであった法家思想をも学んだ。そして魏の李悝に始まり秦の商鞅などに継承されていく法家、それから老子・荘子の道家、そして墨家、名家などの論理学、そういうものをすべて総合する大思想家となった。<貝塚茂樹他『古代中国』講談社学術文庫 p.498>

参考 韓非が始皇帝に教えたこと

 韓非の言行録である『韓非子』主導編に次のような一節がある。
「君、其の欲する所を見(あらわ)す無かれ。君、其の欲する所を見さば、臣、将(まさ)に自(みずか)ら雕琢(ちょうたく)せん。君、其の意を見す無かれ。君、其の意を見さば、臣、将に自ら表異せん。」
この文を円満字(えんまんじ)二郎氏は次のように読んでいる。
(引用)――君主たるもの、自分のやりたいことを臣下にさとられてはならぬ。さとられてしまえば、臣下はきっと、それに合わせて自分を取り繕うとするからだ。君主たるもの、自分の意見を知られてはならぬ。知られてしまえば、臣下はきっと、それに合わせて自分を売り込もうとするからだ。<円満字二郎『数になりたかった皇帝』2010 岩波書店 p.112>
 為政者は“リーダーシップ”など発揮するな。そのかわり、法を重んじよ、と韓非は主張する。定められた法律を厳格に運用し、けっして私情を交えぬこと。そうして、それに従って適確に賞罰を与えること。そうすることによって、下に位する者たちの“へつらい”や“ごまかし”の道は封じられる。この戦国の世を生き抜く力強い国をつくるには、それが一番の方法何のだ、と韓非は若き秦王政、つまり後の始皇帝に教えたのだ。
 見事に“忖度”が横行している現在の日本の政治権力と官僚の関係を言い当てているようだ。(2019.3.21記)
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ノートの参照
2章3節 オ.社会変動と新思想
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円満字二郎
『数になりたかった皇帝』
2010 岩波書店