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マヤ文明

メソアメリカ文明のなかで、ユカタン半島で4~9世紀に独自の発展をした文明。

 4世紀から9世紀にかけて中央アメリカのユカタン半島、現在のメキシコからグアテマラにまたがる地域に成立したメソアメリカ文明を代表する都市文明。 → ラテンアメリカ
 現在は深いジャングルに覆われているが、ここにマヤ人は高度な都市文明を形成し、神殿・ピラミッドを建築、20進法、精密な暦法、絵文字などを持ち、天体観測を行っていた。これが古典期のマヤ文明であるが、10世紀 メキシコ高原からトルテカの勢力が進出したことによって衰退した。その後も14世紀頃にはチチメカ人の民族移動があり、マヤ文明の独自性は薄れたが、世界遺産のチチェン=イツァのピラミッド型神殿の建築などが行われ、またスペイン人の侵攻を受けてからも根強く反抗を続けて、17世紀になってようやくカトリック信仰などのスペイン文化を受け入れた。ユカタン半島の密林地帯はコパル樹脂香やヒスイなど、王権の権力を誇示することに結びついた貴重品の独占的な産地であっため、他地域に見られない特色ある文明が発達した。

マヤ文明の特色

・農業はとうもろこしの栽培を中心とする焼畑農法が発達した。(最近は衛星写真で灌漑用水路の存在も確認され、潅漑農業も行われていたことが知られるようになった。)
・天文学が発展し、火星や金星の軌道も計算していた。極めて正確なマヤ暦が用いられていた。
・二十進法、0の概念などを知っていた。
マヤ文字(文字種が4万種におよぶ)が使用されていた。解読はかなり進んでいる。
・石造での神殿建築、階段式ピラミッドなど、建築技術を持っていた(独自の持ち送りアーチを有する)。
・宗教的な生贄の儀式が盛んに行われた。
・無かったものは、青銅器や鉄器などの金属器、牛や馬などの大型家畜。車輪も実用化されなかた。

Episode いけにえの泉-マヤの人身御供:

マヤ文明には他の文明から見て奇妙なことが多い。さかんに人身供犠が行われたことも一つだ。神に捧げるいけにえの方法には、弓矢で殺すもの、胸を裂いて心臓をつかみ出すもの、「いけにえの泉」に投げ込むものが伝えられている。そのうちの第三の方法は次のようなものだ。チチェン=イツァーにある「いけにえの泉」は石灰質のユカタンの地表が陥没して、そこに地下水がたまったもので、経約66m、高さ20mの垂直の断崖に囲まれている。水は周囲の緑を映して青く深い。マヤ人は干ばつの年に、人間を生きながらこの泉に投げ込んで神に捧げ、そのいけにえはけして死なないと信じていた。あるいは金や銀の財宝を泉に投げ込み降雨を祈ったという。1885年、ひとりのアメリカ人青年がこの湖の調査を行った。インディオが不安そうに見守る中、巨大なクレーンで浚渫を試みたが思った成果が出ない。そこで青年は自ら潜水することを試みた。それらの調査の結果、多数の金属と人骨が泥の中から見つかった。しかし金属類は主に銅製や合金で、高価な金はごく少なかった。人骨の21個は18ヶ月から12歳に至る小児、13個は男子、8個は女子のものであった。<石田英一郎『マヤ文明』1967 中公新書 p.74-80> 

出題

マヤの暦 2000ct
図 マヤ文明系統の暦を示す歯車
2000年 センターテスト追試 世界史B 第2問 ・・・マヤでは太陽暦とともに、13日と20日とからなる二つの周期を組み合わせた、260日で一巡する独自の暦が用いられていた(図参照)。
設問 アメリカ大陸の文明について述べた文として正しいものを、次の①~④かのうちから一つ選べ。
 ① アステカ文明は、マヤ文明に受けつがれた。
 ② マヤ文明の中心は、メキシコ高原にあった。
 ③ インカ文明は、スペイン人によって破壊された。
 ④ インカ文明では、独自の暦法を記述した書物が公刊されていた。

解答

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ノートの参照
2章4節 イ.マヤ・アステカ文明とインカ文明
書籍案内
石田英一郎『マヤ文明』1967 中公新書

クロード・ボーデ/シドニー・ピカソ『マヤ文明 失われた都市を求めて』知の再発見双書 創元社