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仏国記

東晋の僧法顕がインドに赴き、往路は陸路、復路は海路をとり、5世紀初頭の中国・インド交流の貴重な記録となっている。

 399年~412年、中国の東晋の僧法顕がインドに戒律を求めて大旅行をした時の旅行記。『法顕伝』ともいう。法顕は往路は西域からパミールを越え、カイバル峠からガンダーラ地方に入り、さらにガンジス流域のグプタ朝の都パータリプトラで3年間、梵語(サンスクリット語)を学んだ。帰路は海路をとりベンガル湾からマラッカを超えて帰着した。
 彼の持ち帰った戒律は、大乗仏教の基本を中国にもたらすこととなった。帰国後、東晋の都建康(現在の南京)で書かれたこの書は、これ以後、8世紀まで続く、中国の学僧のインド留学にとっての手引きとなり、現代においても西域やグプタ朝時代のインドの有様を伝える貴重な資料となっている。現在、東洋文庫で『法顕伝・宋雲行紀』(長沢和俊訳)として訳文を読むことができる。 → 中国仏教

Episode 法顕、砂漠を横断

 法顕の著作『仏国記』(『法顕伝』ともいう)の冒頭近く、インドをめざす法顕がゴビからタクラマカンに至る砂漠(砂丘が常に河が流れるように移動するので沙河といわれた)を描いた部分は名文として知られている。
(引用)沙河中はしばしば悪鬼、熱風が現われ、これに遇えばみな死んで、一人も無事なものはない。空には飛ぶ鳥もなく、地には走る獣もいない。見渡すかぎり(の広大な砂漠で)行路を求めようとしても拠り所が無く、ただ死人の枯骨を標識とするだけである。・・・<長沢俊和氏の現代語訳『法顕伝』東洋文庫 p.9>
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書籍案内

法顕/長沢和俊訳
『法顕伝・宋雲行紀』
1971 東洋文庫