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タリム盆地/タクラマカン砂漠

パミール高原の東、タクラマカン砂漠の広がるの広大な盆地。東西交易のシルクロードが通り、中国では西域と言われる。9世紀ごろウィグル人が定着し東トルキスタンと言われるようになった。

 現在の中国の新疆ウイグル自治区にあたる、パミール高原の東、天山山脈と崑崙山脈に南北を挟まれた、広大な盆地。ほとんどが砂漠(タクラマカン砂漠という)であり、人間は居住できないが、北の天山山脈の南側、南の崑崙山脈の北側はそれぞれシルク=ロードの東西交易ルートとなっており、多くのオアシス都市が生まれた。これらのオアシス都市民はソグド人などイラン系民族であった。

漢・唐の進出

 やがてモンゴル高原から南下する遊牧民の匈奴に支配されるようになったが、漢の武帝の時、張騫が派遣されてから西域と言われるようになり中国人が進出した。5世紀初めには東晋の僧法顕がインドに向かう途中、タクラマカン砂漠を横断しており、その著『仏国記』に描かれている。
 次いで柔然突厥などの遊牧帝国もこの地に進出し、との争奪戦が展開された。唐はこの地のクチャ(亀茲)、ホータン、カシュガル(疏勒)、カラシャフルに安西四鎮といわれる都護府を置いて統治した。

トルコ化

 突厥につづいてモンゴル高原を支配したトルコ系民族のウイグル人の国家がキルギスによって滅ぼされた後、その一部がこの地に移住して西ウイグル王国を建て、オアシス都市に定住するようになった。トルコ系遊牧民であったウイグル人がこの地に定住するようになってトルコ人の西方定着が進み、この地は東トルキスタンと言われるようになった。それに対して、同じくウイグル人が進出してトルコ化した、パミール高原の西、アム川・シル川にはさまれた一帯は西トルキスタンという。
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ノートの参照
第4章1節 ウ.オアシスの生活