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ガンダーラ/ガンダーラ美術

インドの西北、インダス川上流域にあるガンダーラ地方は、クシャーナ朝時代に仏教美術が栄える。一般にヘレニズムの影響を受けてここから仏像が出現したとされている。

ガンダーラ地方

 ガンダーラ地方はインドの西北、インダス川の上流域のパンジャーブ地方に属する。現在は大部分がパキスタンの領土となっている。西にカイバル峠を経てアフガニスタンに通じ、東にはインドの中心部デリー、さらにガンジス川流域に通じる。南にはパンジャーブの肥沃な平原が広がり、さらに南下すればシンドの地となる。このようにガンダーラ地方は古来東西交通の要衝として重要な地域であり、さまざまな民族が興亡し、多くの文化の影響を受ける地域であった。アケメネス朝ペルシアの一州ともなったが、前4世紀にアレクサンドロス大王がペルシア帝国を滅ぼし、さらにこの地に侵入し、ギリシア文化(ヘレニズム)が伝えられることになった。紀元後1世紀にこの地のプルシャプラを都としてクシャーナ朝が成立し、カニシカ王が篤く仏教を保護したので、この地にヘレニズムと仏教が融合したガンダーラ美術が成立することとなった。
ガンダーラ仏
ガンダーラ仏
東京博物館蔵。

ガンダーラ美術

 1世紀頃から3世紀頃にかけて、クシャーナ朝時代のインドの西北、ガンダーラ地方とタキシラで開花した仏教美術。本来仏教は偶像崇拝ではないので、ブッダを彫像で表すことはなかった。ところが、クシャーナ朝はイラン系の民族が造った王朝であり、バクトリアから起こった国であったのでヘレニズムの影響を受け、ギリシア彫刻を模して仏像を造るようになった。ガンダーラ仏はギリシア彫刻の影響を受けているが、4世紀のグプタ朝時代になると次第にヘレニズムの影響を脱して、インド独自の様式であるグプタ様式が成立する。

ガンダーラ様式の仏像

 左の写真は2世紀のガンダーラで作られた菩薩像。その風貌、髪型にギリシア的なものが強く残り、衣文もギリシア彫刻のように動的である。<実教出版教科書『世界史B』p.59>

仏像彫刻の起源に関する異説

 仏像彫刻はガンダーラにおいて、ヘレニズム(ギリシア彫刻)の影響を受けて始まったという説は現在も有力であるが、一方で、仏像彫刻の発生をクシャーナ朝とローマ帝国の交易を背景としたローマ美術の影響であるとする説も有力であり、現在も論争が続いている。また、仏像彫刻の発祥の地をガンダーラではなく、インド独自にマトゥーラで生まれたとする有力な説もある。<高田修『仏像の誕生』岩波新書 1987>

参考 ヘレニズムとガンダーラ美術

 アレクサンドロス大王の東方遠征を契機にギリシア文明がオリエント文明と「融合」してヘレニズム文明が生まれ、さらに北インドにもヘレニズムが広がり、ガンダーラ地方においてギリシア彫刻が採り入れられて仏像が作られるようになった、という理解は、現在においても大筋としては間違いではないが、前4世紀のアレクサンドロスの東征と、後1世紀後半からのガンダーラ美術の成立の時間差からして、両者の関係は直接的ではないことに注意しておこう。介在したのがギリシア人国家のバクトリアが、前1世紀に北西インドにも進出したことであった。
 それにともない、ヘレニズムとガンダーラ美術の関係についても見直しがされている。
(引用)日本では、ヘレニズム文化の代表としてガンダーラ美術が言及されてきた。ギリシア風の様式で彫られた仏像の中に、ヘレニズム文化の粋を見出すのである。これは20世紀前半フランスの美術史家フーシェの説だが、今日ではすでに時代遅れである。実際ギリシア人がガンダーラ地方を支配していた前1世紀から後1世紀前半には、まだ仏像は現れない。仏像が作られるのは紀元1世紀後半、クシャン朝の時代のことであり、アレクサンドロスとは400年近い隔たりがある。現在の研究では、ガンダーラの仏教美術にはギリシア、イラン、ローマという三つの文化が影響を与えていると見るのが有力である。大王と仏像が直結しているかのような解釈はまったくの的外れであり、われわれの常識のなかのヘレニズムは幻影だといわねばならない。<森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』興亡の世界史1 2007 講談社 p.24