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開元通宝

中国の唐で鋳造された銅銭。

開元通宝
藤井一二『和同開珎』
中公新書 p.22
唐の高祖(李淵)が621年(武徳4年)以後、鋳造させた銅銭。中国では漢の武帝の時以来、五銖銭が統一通貨として鋳造され、流通し続けていたが、それに替わる通貨とされた。漢以来の安定した統一王朝の出現にあわせて国家の威信をかけて鋳造されたものである。なお「開元」はこの場合は年号ではではなく(年号としての開元は後の玄宗の時)、「開国建元」の意味で、唐の建国を記念したもの。円銭で四角の穴は秦の始皇帝の半両銭、漢の五銖銭を継承しており、穴の四方に開元通宝の文字を鋳出している。1枚を一銭と数え、10銭で1両とされた。唐ではその後も何度か貨幣が発行されたが、開元通宝はその後も鋳造が続けられ、唐末まで流通した。この開元通宝の形式はこの後の基準となり、その形、重さは中国だけではなく、周辺諸国の貨幣の手本ともされ、日本の和同開珎もそれに倣って鋳造された。

Episode 開元通宝か開通元宝か

 開元通宝を手本に和同開珎が造られたが、両者には大きな違いがある。それは文字の配列である。前者は縦の二文字と横の二文字を順に読んでいるが、和同開珎は右回りで読んでいる(和同開珎の解説参照)。実は、開元通宝も本来は右回りに開通元宝と読むのが正しい。621年に鋳造が開始されたときは開通元宝と読んでいたが、713年に年号が開元となった頃から、開元通宝と読むようになったらしい。唐の貨幣を手本にした和同開珎(708年鋳造)が右回りに読んでいるのがその証拠だ。後の五代で編纂された『旧唐書』ではそのいきさつが忘れられ、開元通宝が正しく、開通元宝は俗称だ、とされので、現在では開元通宝が定着してしまった。中国や日本ではその後も「通宝」と「元宝」をつけた貨幣が鋳造されるている。<藤井一二『和同開珎』1991 中公新書 p.20-23/東野治之『貨幣の日本史』1997 朝日選書 p.40-44>