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蕃坊

唐から宋の時代、広州などの港に置かれた外国人居留地。

 唐ではムスリム商人などとの外国貿易が盛んに行われていたが、広州には外国貿易を管理する市舶司(唐ではその長官は市舶使といった)が置かれ、また外国人商人の居住地として蕃坊が作られていた。宋代にも泉州、温州、明州、杭州など外国貿易が行われた港にも市舶司と共に設けられていた。またムスリム商人は大食(タージー)と呼ばれていた。
 蕃坊の坊とは、元来は都市の一区画をさす名称で、唐の長安には110前後の坊があり、それぞれに〇〇坊という名が付いていた。なかにはソグド人の坊もあった。また広州のイスラーム教徒の居住地が蕃坊と言われたように、山東省の港に来港する新羅人の居留地として、「新羅坊」があった。

蕃坊のアラビア人

 唐から宋・元の時代、開港における蕃坊など、外国人居住地は市舶司の役人によって管理されたが、日常の生活や行事は居留民の自治にまかされていた。蕃坊の有力者から蕃長が選ばれ、番長は市舶司と連携して貿易の繁栄を図る立場にあった。南宋末から元初にかけて泉州の蕃坊の商人であったアラビア人の蒲寿庚は、市舶司に任命され、クビライに協力したことで知られている。<堀敏一『中国通史』講談社学術文庫 p.218,313>
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堀敏一
『中国通史』
2000 講談社学術文庫