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西夏文字

西夏王国で漢字をもとにしてつくられた独自の文字。

西夏文字
西夏文字 仏教経典の一部
 1036年に西夏李元昊(景宗)が制定した独自の文字。約6000字が知られ、要素の字を上下左右に組み合わせた表意文字を主体に、表音的なものも混じっている。西夏語はチベット=ビルマ語系で、その音を表すためにつくられた西夏文字は、漢字の「会意」「形声」の造字法でつくられたが、意味は漢字とは無関係で、その字形も一見漢字似ているが、著しく複雑である。西夏文字は、9世紀の契丹文字、12世紀の女真文字とともに、「漢字の字形と構成原理を模倣して新たに創作した文字(疑似漢字)」であり、唐滅亡後の漢文化の衰退に伴う、北方民族の独自の文化の形成の一環と考えられる。右の図は、西夏文字による仏教経典『浄土十疑論』の一部。

西夏文字の解読

 西夏がモンゴルに滅ぼされたため、西夏文字も西夏語とともに忘れ去られ、現在使われていない。しかし、西夏で仏教が篤く保護されていたために、敦煌などで西夏文字で書かれた大量の経典や仏教関係の文書類が残されており、現在研究がかなり進んでいる。日本の西田龍雄氏(京都大学教授)によって、その半分の発音が確定され、その三分の一の意味が明らかにされている。

西夏と西夏文字 表意文字の最高傑作

 西夏文字研究の第一人者、西田龍雄氏による西夏と西夏文字に関する説明の文があるので引用する。
(引用)私はこの西夏文字を、表意文字として機能しながら同時に文法情報も伝達した、漢字よりも一段と優れた表意文字の最高傑作であったと位置づけた。そしてこの文字の創作は、もとより建国当初の重大な文化事業ではあったが、西夏語という文章語を成立させたことの方が、それよりも注目すべき大事業であったとかと考えるようになった。・・・西夏人の祖先はミ族・ミニャク族(弥諾)として8世紀吐蕃時代から歴史に登場した。李徳明の時代まではいわば野生の言葉で民族間の交流通達を行っていた。そして必要に応じて蔵文(チベット文字)あるいは漢文を書いてきた。その頃、拓跋部、東山部など各地域で独自の方言を話していたと思われる。それらの言葉を総称してタングート語と呼んでおこう。ところが11世紀に入って李元昊が登場して民族の統一を果たし、西夏国が建設されるに及んで(1032)、その野生の言語タングート語に新しい衣装を着せ文化言語として成長させようとする動きが起こった。まず言葉の整理を行い新しい文字を創作した。その事業には漢人も協力して、文字集や韻書の類も作成した。そこにタングート語を基礎に西夏文字で表記した新しい文章語、西夏語が誕生する。しかし当初は文章語としては未熟で、漢文を置き換えたような単純な文章にしかならなかった。・・・それが次第に推敲されて、私の名付ける行為者視点文や受動・受益者視点文などが使われ、より複雑な表現ができるようになった。その大きな原動力となったものは中国の古典や仏典の翻訳事業である。(しかし)新しい衣装を着けて上品に着こなす標準的な文章は、11世紀中ごろ以降恵宗の時代に至るまでは実現しなかったのではないか。・・・立派な文章が定着する頃には不幸にして国家自体が滅亡した。(1227年、チンギス=ハンによって滅ぼされる)<西田龍雄『アジア古代文字の解読』1982 大修館刊 2002 中公文庫再刊 p.273-274 付記>
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第6章2節 イ.北方の諸勢力
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西田龍雄『アジア古代文字の解読』1982 大修館刊 2002 中公文庫再刊