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タタールの平和

モンゴル帝国がユーラシアを支配したことによってもたらされた安定をこのように言う場合がある。

 モンゴル帝国がユーラシア内陸の大半を支配(中国本土の元を本家として、中央アジアのチャガタイ=ハン国、ロシアのキプチャク=ハン国、イランのイル=ハン国が同じモンゴル系の国家としてそれに従属する体制をとった)が確立し、特に1305年にハイドゥの乱が鎮定されて元の支配が安定したことによってもたらされた平和のことを言う。
 ローマ帝国による地中海世界での「パックス=ロマーナ」(ローマの平和)になぞらえて、PAX TATARIKA という。タタールというのは、もとはモンゴル系の遊牧部族であるタタル人(中国名で韃靼)を指していたが、13世紀にロシア・東ヨーロッパに侵攻したモンゴル軍(タタル人を含むモンゴル人やトルコ人などを含んでいた)をヨーロッパ側でタタール(ロシア)と言うようになった。
 この「タタールの平和」の実現によって、ユーラシア内陸の東西交流の活発化がもたらされ、ルネサンスや大航海時代、ひいては宗教改革につながっていく。 → タタールのくびき
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